バート・バーンズBert Bernsとソロモン・バークSolomon Burkeは、
フォークが突然流行したので、「ダウン・イン・ザ・バレーDown in the Valley」を、フォーク・ファンがヒットするのを手助けしてくれたら良いなと考えていたのかもしれない。

ジョーン・バエズJoan Baezの2枚のアルバムは、取り立てて言うほどのシングル・ヒットやラジオ放送が得られなかったにも関わらず、ビルボード誌LPチャート20位台半ばに何週も続けて居座り、ジョニー・キャッシュJohnny Cashのマネージメントは4月半ばに、フォークシンガーとして大学のキャンパスで出演しようとしていると発表した。(たぶん、カントリー・チャートであまり芳しくなかったからだろう。)


そして、コロンビア・レコードColumbia Recordsの優れたA&Rで、カウント・ベーシーCount Basieやビリー・ホリデーBillie Holidayを発見したジョン・ハモンドJohn HammondがBob Dylanと契約したと発表した。



4月にリリースされたディランの最初のアルバムについてビルボード誌は、「彼は演奏し、歌い、作曲し、そして最も興味深く、長期間を見渡してポップ・フォークのシーンに現れた最も規律正しい若者の一人だ・・・。ディランは自分のスタイルを見つければたくさんのファンを獲得できるだろう」と評した。たぶんそうだろうが、一部のフォークファン・グループ以外では失敗に終わり、彼の声をひどく嫌う者もいたし、ギター演奏があまり好きでない者もいた。しかしディランの曲が、ちょうどこの頃大ヒットした。アルバート・グロスマンAlbert Grossmanは、シカゴでゲート・オブ・ホーンGate of Hornという大きなビジネスをしていて、
ニューヨークで二人の男と一人の女を組み合わせ、ピーター・ポール&マリーPeter, Paul & Maryとしてコンサートを開いたが、この3人はソロ演奏(マリー・トラバースMary Travers、ピーター・ヤーローPeter Yarrow)とスタンダップ・コメディ(ポール・ストゥーキーPaul Stookey)をしていた。


グロスマンは3人に何か月も練習させてから、グリニッチ・ビレッジにある新しいフォーク・クラブ、ビター・エンドThe Bitter Endでデビューさせ、彼らのワーナー・ブラザースWarner Bros.でのアルバムは3月に発売されるやいなや大ヒットし、7週間の首位を含めて、4年近くチャートにいた。

