「ショップ・アラウンドShop Around」はもともとバレット・ストロングBarrett Strongのために書かれたものだったが、



ゴーディは自分のレーベルに残しておきたくて(アンナはまだストロングのレコードだと思っていたが、ゴーディは最初に地元でリリースしたのだった)、「フーズ・ラビン・ユーWho’s Lovin’ You」のB面として発売した。

レコードが発売されてから数週間後、ゴーディは午前2時にスモーキー・ロビンソンSmokey Robinsonへ電話して、グループを集めろと言った。

ゴーディは「ショップ・アラウンドShop Around」をもっと速いテンポでレコーディングする、という素晴らしい考えが浮かんだので眠れなかった。1時間後、ピアノ演奏者以外全員がスタディオに召集され、ゴーディはピアノの位置に座り、すぐに新バージョンが完成した。全員が驚いた。実に良くなったのだ。そんなわけでこの曲はR&Bチャートを、更に、その後まもなくポップ・チャートを急上昇した。結果は数値にはっきり出て、R&B1位、ポップ2位、100万枚以上売れた。ヒッツビルUSA Hitsville U.S.A.は有名になった。

デトロイトの永遠の音楽ライバル、シカゴにも黒人が所有する別のレーベルがあった。ビージェイVee-Jayはベリーの企業よりも早くスタートし、チェスと競って歌手を獲得していた。


しかし、チェスの動きは保守的で、昔からのブルース・スターに固執し、新しい黒人音楽の基準を取り入れたのは若いエタ・ジェイムズEtta Jamesだけだった。

ビージェイは、自社のことを、チェスが欲しくない人たちの受け入れ先だと思うことがよくあり、そのようにして、最大のブルース・スターのジミー・リードJimmy Reedを獲得し、ジミーのおかげで長年生きながらえてきた。

エワート・アブナーEwart Abnerは、レコーディングと契約締結の業務で日銭を稼いでいたが、自身の子会社レーベルのアブナーAbnerを与えられ、優れた作曲家カーティス・メイフィールドCurtis Mayfieldと、舞い上がるようなバリトンのリード・シンガー、ジェリー・バトラーJerry Butlerを中心にしたゴスペル・グループのインプレッションズThe Impressionsから1958年にヒット曲が出た。


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「フォー・ユア・プレシャス・ラブFor Your Precious Love」は成功し、バトラーはグループと別れて、ソロとしてビージェイと契約し、


それが功を奏して、1960年に大ヒット曲「ヒー・ウィル・ブレーク・ユア・ハートHe Will Break Your Heart」が出た。


