ついに裁判は2月29日に始まり、彼らの前に現れたのはジョージHムーアGeorge H.Moore判事で、その経歴はやや複雑だった。彼は1955年の公営住宅事件で、人種差別撤廃を支持する判断を下した一方で、その数年前にはセントルイス大学ロー・スクールで公演することを拒否したのだが、その理由は大学の人種差別を撤廃した学生セオドア・マクミランTheodore McMillanのことを指して、「そこには黒人がいる」から、というものだった。チャック・ベリーの裁判を担当するのがムーアだったのだ。ジャニス・エスカランティJanice Escalantiが証言を始めると、ムーアは繰り返しジャニスに、彼女の話の中で新しい人物が登場すると、「その人は白人か黒人か?」と質問した。

これを聞いていた陪審は当然全員白人で、ムーアは陪審の中にある人種的偏見に働きかけていると認識していたに違いない。ベリーの弁護士マール・シルバースタインMerle Silversteinには別の仕事ができたのだが、それは依頼人を3件のマン法の罪から救出するだけでなく、陪審の心から人種差別を取り除く必要があったのだ。しかし判事は何度も人種問題を持ち出し、エスカランティに自分が泊まった豪華な家を説明させ、彼女のいくらか混乱した話の中で全員の人種を言うようにしつこく迫った。ベリーの方は、あいまいで説得力がなく、エスカランティをセントルイスに一緒に連れて帰りたい理由をたくさん提示したが、その中には、新しい流行になっている外国語を習得するために、スペイン語を「とても」学びたいというのもあった。エスカランティや宿泊したベルボーイの以前の証言にもかかわらず、ベリーは彼女と一度もセックスしていないと主張した。ベリーは、小さな点についても言い争った。ある時、ホテルの登録カードが手書きかどうかを問われた時、書いてあったのは手書きではなく印刷だと指摘した。ベルボーイがベリーのベッドにいるエスカランティを見た時の服装についての証言を言い争った。要するに、ベリーは法廷で誰も味方に付けず、依頼人のふるまいに業を煮やしたシルバースタインは、しまいには審理無効を言明しようとした。無理からぬことだが、この動議は却下された。陪審員が選ばれ、2時間35分後、チャールズ・エドワード・ベリーCharles Edward Berryはマン法違反で有罪となった。ベリーは自治体の刑務所に入れられ、量刑手続きを待った。
ムーアはいかなる同情も示さなかった。ムーアはベリーに言った。「君はあまり有益な市民でなく、同情の余地は何らない。君がこの法廷でした話は見え透いていて、彼女を更生させようとしたことについて、この法廷に座って君の証言を聞いた人は誰も信じないと思う。君は彼女を更生させ、売春の仕事から抜け出させる目的で旅行に連れて行ったのに、自分自身のみだらな目的のために彼女を利用したのだ。」それからムーア判事は、5年の禁固刑と5千ドルの罰金という最大の量刑を科した。保釈も拒否した。「何も知らないたくさんのインディアンの女子、有色人種の女子、白人の女子のいずれであれ、犠牲にさせないために、この男を野放しにさせない。もし本法廷が何らかの判断を下しても、本事件が控訴中に、この男は世に出て過ちを犯すことになる。これほど悪質な人間に判決を下したことはかつてなく、信じられない…。彼を投獄すれば社会は良くなる。」シルバースタイン弁護士は愕然とした。「もしこの事件を再審理してもらえなければ、窓から飛び出て逃げる」とその時語った。ムーアの判決に対する抗告の申し立てをしたことによって、シルバースタインは自動的にムーアの保釈拒絶を覆した。チャック・ベリーはしばらくの間自由になり、急いでシカゴに行き、2日にわたって19曲をレコーディングした。彼は5月30日にマチス関連の逮捕の一つのために戻ったが、その件は銃器の罪(ハイウエイのパトロール隊が停止させた時、自動車の中で充填された銃が見つかった)で、別の判事によって裁かれることとなっていた。マチスは何も否定せずベリーとは恋愛中であり、州境を越えたことの理由について陪審員は不道徳な点はないとし、訴えは退けられた。
しかしながら、それで終わったわけではなく10月30日、第8巡回控訴裁判所は次のように指摘した。「私たちの懸念は、予審判事の態度、行為、発言であり」、「予審判事は、被告人の人種を考慮に入れることによって有罪無罪の問題に影響する含みのある発言を陪審員の前で行い、裁判を不公平なものにした」と付け加えた。しかし、ベリーに不利な証拠があるので、無罪放免にするのではなく、新たに裁判を開くと決定した。
