第11章
1959年 死とソウル
1959年1月、死を扱った曲がトップテンに入った。実は既に、死刑囚の殺人犯であり執行間近の日々を迎えていたトム・ドゥーリ―Tom Dooleyがチャート入りしていたが、別の古い殺人事件がロイド・プライスLloyd Priceの手で復活したのだ。

ロイドはスペシャルティSpecialtyからABCパラマウントABC-Paramountに移籍し、制作予算が増え女性バック・コーラスとオーケストラが付いた。
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そこにおけるロイドの初シングルは、謎めいたニューオーリンズのピアニスト、アーチボールドArchibaldが演奏した1950年のインペリアルのレコードをカバーしたものだった。アーチボールドは、この曲をどこからか手に入れ「スタカリーStack A-Lee」と呼んでいた。
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プライスはこの曲名を「スタガー・リーStagger Lee」と言い換え、セントルイスでギャンブルのいさかいが元で起きたビリー・ライオンズBilly Lyons殺人事件から、できるだけドラマを絞り出して3分に詰め込んだ。


原曲には無い、ほとんど無伴奏で歌う俳句風の歌詞で始まる(「夜寒く、月は黄色く、葉は落ちる」)のだが、それからテンポを上げ、しまいにはバック・コーラスが、「ゴー・スタガー・リー!ゴー・スタガー・リー!」と繰り返し歌う。
1月にチャート入りした別の死は、それほどあからさまではなかった。ドレ・レコードDore Recordsはリュー・ベデルLew Bedellが経営するレーベルで、ベデルの別のレーベルであるエラEra Recordsは、ハリウッドのナイトクラブで演奏していたゴージ・グラントGogi Grantのような歌手が看板スターだった。




