フォークウェイズ自体は優れたレコード・レーベルだった。

社長は著名作家ショーレム・アッシュSholem Aschの息子モーゼス・アッシュMoses Aschで、前身のアッシュ・レコード同様、政治やその他の問題から距離を置くことはなかった。

フォークウェイズの目録に載っていたのは、ベラ・バートクBela Bartokのハンガリー民謡レコード、イギリス諸島、イタリア、ディープサウスのアラン・ロマックスAlan Lomaxのレコード、

ハーレムのストライド・ピアノ奏者のジェームスPジョンソンJames P. Johnsonの演奏する自作クラシック、カンサス・シティのハンドリーダーによる占星術に基づいた組曲、ジョイスが自分の作品を読むジェームス・ジョイス協会the James Joyce Societyのミーティングの録音だった。


フォークウェイズも1952年にアメリカ音楽を永遠に変えることとなる6枚のLPをリリースした。2枚ずつ3つの箱に納められた「アメリカ・フォーク・ミュージック・アンソロジーThe Anthology of American Folk Music」だったが、実は決してそんなものではなかった。

実態は、風変わりな画家、映画製作者、アマチュア人類学者のハリー・スミスHarry Smithが集めた78回転のレコード・コレクションで、スミスは当面の現金が必要なためムー・アッシュMoe Aschに全集を提案した。

加えて、タイトルを決め、解説を書き、カバーをデザインし、パンフレットを付けて、LPとしてリリースすることを提案した。値段も手ごろだったので、アッシュはやってみることにしてスミスは仕事にとりかかった。3巻はバラード(物語による歌)、ソーシャル・ミュージック(ダンス音楽と教会音楽)、ソング(ブルースなど物語のない歌で、ケイジャン音楽を2、3入れてある)だった。パンフレットは、木版のコラージュで、何人かアーティストの絵を再現したが下手だった。
