ロックンロールの歴史 207

 

すべてとてもうまく行ったが、エルビスの母親のグラディスは心配した。

Elvis and Gladys (Southern Icons Series)

基礎訓練の後、部隊はドイツに派遣されるが、自分は外国で生活したいかどうか分からないのだ。しかしそれは先の話で、プレスリーとフェイダルの家には、もてなしや料理をするためにたくさんの訪問客が来た。

Signed Elvis Days Book — The Elvis HouseElvis on May 18, 1958 in Waco, Texas with Eddie Fadal's children.

しかし、夏が深まるにつれ、体の具合が悪くなり、消化不良になった。しばらくの間、スイカとペプシ以外は何も取れなくなり、医者はテキサス州で診療する免許がないと伝えたので、8月8日、プレスリーはメンフィス行きの列車に乗った。彼女は翌日入院したが、どこが悪いのか、誰もわからなかった。エルビスは心配でたまらず、もし緊急休暇が取れなければ、無許可離隊すると脅した。(陸軍の立場は、もしエルビスに休暇を与えれば、特別扱いをしたとマスコミは報道するだろうというものだった。)しかし状況は厳しく、8月12日にグラディスの担当医は軍幹部に懇願して、エルビスはメンフィスに飛行機で戻り、病院に直接向かった。エルビスは長時間見舞い、帰ったが、それでグラディスはかなり良くなったと医師は言った。しかし、エルビスは翌日また見舞いに来て、丸一日そして夜も遅くまで病院にいた。父親のバーノンは彼女の部屋の折り畳み式ベッドに居続けた。翌未明3時30分、グレイスランドの電話が鳴り、それがなんであるか、エルビスにはピンときた。父親と話をした後、病院まで運転していった。グラディスは目を覚ましたが息も絶え絶えになり、亡くなった。父子は崩れ落ち、大きな鳴き声は廊下の先まで聞こえ、最後に遺体を引き取りに霊柩車がやってきた。グレイスランドは大混乱で、エルビスは何もできず、ただ、ドアのところに行って弔問客を入れ、遺体のそばに座り、抱きしめ、触り、泣き、ぼう然として座っているだけだった。

Graceland - Wikipedia

最後に葬儀社が葬儀の準備のために、グラディスの遺体を運んで行った。エルビスは母親が好きなゴスペル・グループであるブラックウッド・ブラザースThe Blackwood Brothersを飛行機で飛んで来させて歌の手配をし、何とか皆で葬儀と埋葬をすべて終え、好意を寄せる人たちがグレイスランドに集まり、エルビスが自分の部屋から出て来るのを待った。

The Blackwood Brothers Quartet – Vintage Years 1950-1954 – Cassette (Compilation), 1990 [r12634344] | Discogs

エルビスの友人のレッド・ウェストRed Westは、グラディスの死を聞いた時に休暇を申請したが許可されなかったが、自分の父親が急死してメンフィスに戻ると、父親の葬式にエルビスが現れたので、母親の死でつらい時にここまでしてくれるのか?と驚いた。

Red West: One of the Good Ones – SoulRide

しかし、エルビスは力になってくれて、最後には、エルビスがそこにいてくれて良かったと思った。週末に、エルビスはキリーンに戻った。あとはドイツへ行くのを待つだけだ。

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