エルビスは入隊の準備をしていた。

1958年3月24日午前6時35分、両親と友人を引き連れて、メンフィスにある徴兵検査場に出頭した。
大佐は群衆に「キング・クレオールKing Creole」の風船を手渡し、最後にはエルビスとその仲間の徴収兵がバスに乗り、血液検査など軍隊が必要とする定期健診を受けに、病院行のバスに乗った。

そして、宣誓入隊後の番号であるUS53310761のエルビスは、バスに乗りアーカンソー州フォートチャフィーに行って基礎訓練を始めた。

そのすべての途中段階で、報道陣、ファン、カメラマンが追いかけ、エルビスの軍隊用散髪が配信され新聞に載ると、他人の不幸を喜ぶ気持ちが少なからずあった。その時、事態は混乱していて、エルビスは床屋に支払うべき65セントを払い忘れ、戻って支払った。

次に公衆電話から母親に電話しようとしたが、ここで大佐はエルビスにもプライバシーを守る権利があると考え、レポーターを近づけなかった。翌日、プレスリー二等兵は第2機甲師団に配属になり、テキサス州キリーンの外にあるフォート・フッドで訓練を受けると陸軍が発表した。

これはかつてジョージ・パットン将軍が率いていた有名な部隊で、エルビスは通常のトレーニングと共に、戦車の操縦も習う予定だ。
メンフィスにいた時、冗談で「長くて黒いクソ野郎」と言って別れを告げたリンカーン車とは大違いだった。

エルビスは3月28日にフォート・フードに到着したが、そこでは彼の乗ったバスを報道陣が辛抱強く待っていた。基地の広報官マージョリー・シュルテン中佐Colonel Marjorie Schultenはこのようなものを見たことがなく、事態を管理するためにやってきたパーカー大佐に、きっぱりと言い放った。「報道陣は初日だけエルビスを取材できるが、それ以降は立ち入り禁止とする。」5月31日、エルビスは初めての休暇を取り、メンフィスに飛んで両親に会い、友達と遊び、そしてレコーディング・セッションのためにナッシュビルに行った。時間になるとエルビスは基地に戻ったが、パーカー大佐が軍規則の中にある条文を発見したことを知った。それは、基礎訓練を終えた後は、もし扶養家族がそばにいれば、基地の外で生活することができるというものだった。両親がエルビスの扶養家族であると考え、近くに家を探すと、すぐに両親は引っ越してきて、エルビスと短期間ツアーで一緒に仕事しウェーコのそばに住んでいたエディ・フェイダルEddie Fadalと付き合うようになった。

エルビスは休みの時にはいつもフェイダル家族とともに過ごし、フェイダル家族はエルビスのために、家に翼棟を増築することまでした。

