
ティーンにとってこの世はつらく、だれもがジョニーBグッドになれるわけではなかった。


(そしてもちろん、まったく理解できない歌詞のついた、ボーカル・グループのレコードもあった。ブルックリンのグループであるシェリフ&ラベルSheriff and The Ravelsが演奏する「ションボラーShombalor」だ。
![Sheriff & The Ravels – Shombalor / Lonely One – Vinyl (7", 45 RPM + 2 more), 1959 [r4329975] | Discogs](https://i.discogs.com/k4HN_M9SfygJBg4fuuoiAXqT0xBIpR-kvex7qLAqG2w/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTQzMjk5/NzUtMTQzMTM0OTA4/MS01OTU3LmpwZWc.jpeg)
このグループは、リード・シンガーのエルモア・シェリフElmore Sheriffと一緒に曲を作っていた西インド諸島の男によって見出された。この曲はほとんど無名だったが、そこから繰り出されるフランケンシュタインやナチなどの弾丸のような早口は抗議の形だということもできる。)
もちろん、大ヒットが出れば、当時は必ずアンサー・レコードが出たもので、「ゲット・ア・ジョブGet a Job」は「ガット・ア・ジョブGot a Job」を生み出し、この曲は元気いっぱいの意欲的楽観主義で、歌詞はかなりまともだった。


この曲はブレークしたがっていたデトロイトのグループによるもので、ジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのエンド・レコードEnd Recordが拾い上げ、幸運を手にした。

ミラクルスThe Miraclesというグループは、デトロイトの若き黒人起業家ベリー・ゴーディ・ジュニアBerry Gordy Jr.が作ったプロジェクトの一つに過ぎない。

ゴーディ一族は、家族が銀行に頼らずにローンやその他の援助を申請して返済できる会社のようなものを保有していて、ベリーのジャズ・レコード店に既に融資をしていたが、それは失敗に終わった。ゴーディは、元ボクサーで短期間ビリー・ウォード&ドミノーズBilly Ward and The Dominoesのメンバーだったジャッキー・ウィルソンJackie Wilsonと一緒に働いていたことがあるが、ジャッキーはデトロイトの黒人クラブでは有名で、驚くべき声を出しステージ上の存在感があり、シカゴのレーベルであるブランズウィック・レコードBrunswick recordsと契約していた(もしデトロイトに住んでいてレコードを作りたければ、たぶんシカゴに行かなければならない)。


ゴーディは友人のタイラン・カーロTyran Carloと曲を作り、1958年にウィルソンと一緒に4曲をヒットさせた。

「アイム・ワンダーリンI’m Wanderin’」、「ウィー・ハブ・ラブWe Have Love」、
![Jackie Wilson – We Have Love – Vinyl (7", 45 RPM + 2 more), 1958 [r5711081] | Discogs](https://i.discogs.com/y003xh8dABsaD8OFRt5rZgR3WSWf6_VXPJpJVQqWJlg/rs:fit/g:sm/q:90/h:599/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTU3MTEw/ODEtMTYyMjQ1OTE0/OC0xNjI1LmpwZWc.jpeg)

「トゥ・ビー・ラブドTo Be Loved」、
![Jackie Wilson – To Be Loved – Vinyl (7", 45 RPM, EP), 1958 [r6955199] | Discogs](https://i.discogs.com/M5kYDTzpDxV7gtghtDONQDcf16ckm0Bw7LkjfgBfgNQ/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:581/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTY5NTUx/OTktMTQzMDMzMDcw/Ny0zNTU2LmpwZWc.jpeg)

そして年末の「ロンリー・ティアドロップスLonely Teardrops」でウィルソンが大ブレークし、R&Bで1位、ポップでトップテン入りした。
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しかし、ミラクルスは?ダメだった。ああ、そうだ、少なくともブランズウィックはゴーディにお金を払ったんじゃないかな。たぶん。