チェス・レコードChess recordsは確かにチャック・ベリーChuck Berryと一緒にうまくやっていた。

![Chuck Berry – The Chess Masters - Volume One - 1955-1958 – CD (Compilation), 1991 [r6338960] | Discogs](https://i.discogs.com/CNsanmYtg-LiUoRMxIvWXAE5I-wzA3XOjLvQQa4R4cY/rs:fit/g:sm/q:90/h:443/w:450/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTYzMzg5/NjAtMTQxNjgyNzc0/MC0yODk3LmpwZWc.jpeg)
「ロック・アンド・ロール・ミュージックRock and Roll Music」がまだ人気がある中で、ロックンロール、そしてロックンローラーを満喫できていない「スイート・リトル・シックスティーンSweet Little Sixteen」の物語を歌った。




その女の子はいい子で、ベリーにまつわる話が出始めたことを考えれば、いい話だ。そしてこの曲はポップ・チャートの2位まで上がった(これはベリーのこれまでの最高位で、1972年までの最高位だった)が、ベリーは時代を超えた別の曲を発表した。「ジョニー・ビー・グッドJohnny B. Goode」は自伝的なものではなく、少なくとも正確な詳細については違っていたが、ギターが上手なおかげで貧しい少年がスターダムにのし上がる話は確かにベリーに当てはまり、「ゴー・ゴー・ジョニー・ゴーGo! Go, Johnny, go!」でチャックが披露した演奏は見事だった。

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この曲は長年にわたって、チャック・ベリーかどうかは問題でなく、ギター演奏者であることが大事な曲だった。1958年にチェスで稼いだのはチャック・ベリーだけではなかった。チェスはチェッカー・レコードChecker recordsとアーゴ・レコードArgo recordsという二つの新レーベルを取り入れたが、チェッカーは、マディ・ウォーターズMuddy Watersやハウリン・ウルフHowlin’ Wolfなど、がちがちのブルース・アーティストというよりは、むしろリズム&ブルースに近く、アーゴはジャズ向けという考えだった。




アーゴは、シカゴの有名なジャズ・クラブであるパーシング・ホテルPershing Hotelのラウンジにいたスター・ピアニスト、アーマッド・ジャマルAhmad Jamalと契約し、そこでレコーディングしたライブ・アルバムがヒットした。

