ロックンロールの歴史 180

1957年夏のアメリカン・バンドスタンドの重要性については、いくら評価してもし過ぎることは無い。

August 5, 1957..."American Bandstand" Debuts On ABC - Eyes Of A  Generation...Television's Living HistoryOn this day in 1957, America's favorite DJ introduced his first record on "American  Bandstand." What had begun as "Bandstand," a local Philadelphia show became  a national sensation, launching the careers of

レコード産業にとって、自社商品が初めて全米で紹介されるので、バンドスタンドでレコードがかかることは、地方ラジオ局からの報告を待たずに、即座に全国にヒットするのも同然なのだ。しかし子供たちにとって、バンドスタンドはティーンエイジャーのパラダイスへの窓口なのだ。ここではティーンエイジャーがその年代のファンションを着て、ほとんどのティーンが見たことのないダンスを踊り(最初に踊ったのは、物静かなライン・ダンスであるストロールで、これは例えばチャック・ウィリスChuck Willisでヒットしている「シー・シー・ライダーC.C.Rider」に合わせて踊れるものだ)、クラークが子供たちの生活や学校のことについてインタビューしたときに、自分たちの考えだとして取り扱ってくれるのだから、聞く価値があった。

C. C. Rider, Chuck Willis | CD (album) | Muziek | bolCHUCK WILLIS(チャック・ウィルス) - C. C. Rider / Ease The Pain (US オリジナル 7")

 

この番組は演奏者からスターを生み出しただけでなく、毎日出演しなくてもファンレターの舞い込むほど頻繁に登場するレギュラーからもスターが誕生することがあった。(フィラデルフィアの高校にはしばしば配役募集があった)実際には、見た目ほどはのどかではなく(あるいはのどかだったか?レギュラーから直接得られた報告によると、演奏中にイチャイチャしたり、クロークでセックスしたり、建物の屋上でマリファナを吸っていた)、ディック・クラークは、音楽出版社数社とともに、レコードプレス工場や配給会社へ投資し、フィラデルフィアにたくさんあるレコード会社の中で数社と関係しながら、せっせと小さな芸能帝国を築き上げた。

American Bandstand”1956-2007 | The Pop History Digblogomite!: 1957 American Bandstand

バンドスタンドの真似をする者が出た。同じことをするディスク・ジョッキーがいない都会の方が珍しく、地元のティーンとタレントだけでも行われた。ニューアークでは、ダグ・ジョコウ・ヘンダーソンDoug “Jocko” Hendersonの後援で黒人バンドスタンドとういうべきものができた。

Rock Radio Scrapbook: The Ace from Outer Space, Jocko Henderson

ディスク・ジョッキーのジョコウは、フィラデルフィアのWDAS局で午後4時から6時まで出演し、それから列車に乗ってニューヨークに行き、WOV局で午後10時から真夜中まで再び出演した。

ヘンダーソンは、まくしたてるようなジャイブ・トークの連発は言うまでもなく、ティーンに黒人の最新ヒット曲やダンスを紹介した。それに見合う功績は全く認められなかったが、白人のディスク・ジョッキーたちは自分たちでもできるように十分理解しようとしていた。ジョコウス・ロケット・シップ・ショーJocko’s Rocket Ship Showはニューヨーク・エリアのティーン向けで(テレビで見る番組で、電波はマンハッタンでもあまり強くなかった)、ディック・クラークとその仲間たちの代わりで、もっといかしたものだった。

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