その後、女性トリオのコーデッツThe Chordettesとも契約したが、このグループはゴッドフレイのテレビ番組に登場し、ティーン・クイーンズThe Teen Queensの「エディ・マイ・ラブEddie My Love」のカバーなど、数曲のヒットがあった。(そのメンバーのうちの一人がブレヤーの妻でもあった。)
しかし、アイオワ州シェナンドーで、自分たちの家族のラジオ番組で演奏しながら成長した二人の子供と組むまでは、本当の意味で大きなヒットを飛ばさなかった。ドンとフィルのエバリー兄弟Don and Phil Everlyは音楽一家の中で育った。
彼らの父親アイクIke Everlyはケンタッキー州出身で、地元のバラードや歌をたくさん学びながら、マール・トラビスMerle Travisを筆頭に、彼に師事した何人かのギタリストと技術を共有し、モンスター級のギタリストに成長した。
しかしアイクは真剣に音楽家としてのキャリアを考えることは無く、床屋など他のたくさんの職業で生計を立てていた。アイクの息子たちは家族番組で育ち、「ちっちゃなドニーとフィル坊や」として紹介され、現存する録音からすると、似た声質のハーモニーは最初から続き、ブルー・スカイ・ボーイズThe Blue Sky Boys、モンロー・ブラザースThe Monroe Brothers、ルービン・ブラザースThe Louvin Brothers、デルモア・ブラザースThe Delmore Brothersによって始まったカントリー兄弟の歌唱伝統に、明らかに影響を受けた。
エバリー兄弟がいったん高校を出て、アイクが家族でナッシュビルのそばに引っ越したところ、RCAのナッシュビル・スタディオを運営していてアイクの友人だったチェット・アトキンスChet Atkinsが兄弟を招いてレコーディングさせてみた。
アトキンスは兄弟をコロムビアと契約させ、レコーディングしたがうまくいかなかった。そして、パッツィー・クラインPatsy Cline と共演させた(「ザウ・シャルトゥ・ノット・スティールThou shalt Not Steal」)が、アトキンスがナッシュビルの大手音楽出版社であるエイカフローズ・ミュージックAcuff-Rose Musicのウェズリー・ローズWesley Roseに二人を紹介するまで実際にはうまくいかなかった。