ドイチュMurray Deutschは、このレコードを聞いた時たいそう気に入ったのだが、アトランティックAtlantic、コロンビアColumbia、RCAから断られた。
最後にドイチュはコーラル・レコードCoral recordsの担当をしていたボブ・シールBob Thieleのところに行ったが、コーラルはデッカのサブレーベルで、ローレンス・ウェルクLawrence Welk、マクガイヤー・シスターズThe McGuire Sisters、後にシールの妻になるTeresa Brewerがいた。
シールは即答しなかった。リリースするものはすべてデッカ上層部の承諾を得なければならないのだが、彼らは、このレコードを嫌っていた。シールとドイチュはそのレコードを気に入っていたのだが、シールにはどうすることもできなかった。最後には、ドイチュが出版社としての権利を行使できるように「ザットゥル・ビー・ザ・デイThat’ll Be the Day」を1000枚プレスするようにシールを説き伏せた。
すると状況は実に混乱した。バディの最初のレコードはデッカから出て、ナッシュビル・セッションの残りは、子会社のブランズウィックBrunswickに渡されたがそのまま放置された。今や、バディはデッカの別の子会社、コーラルに所属し、まだ期限が切れていないメイン・レーベルとの契約に違反していた。問題が解決した後、「ザットル・ビー・ザ・デイThat’ll Be the Day」の新バージョンは5月にブランズウィックから発売され、バディは以前の録音の権利をすべて放棄し、ノーマン・ペティNorman Pettyのノーバジャック・ミュージックNor-Va-Jak Musicは今後物事が円滑に進むように介入した。
さらに、バディ・ホリーのレコードはコーラルから、クリケッツのレコードはブランズウィックから出るが、どれも演奏者は同じだ。このことは見た目ほど問題ではなかったのだが、その理由は「ザットル・ビー・ザ・デイ」が発売されると、チャートのトップに駆け上がり、21週間チャートに載っていたからだ。
バディ・ホリーのギター演奏は時々荒々しくなるのだが、それでも彼のレコードには、よりやさしくメロディアスなところがあり、それがロックンロールの新たな方向性を示唆した。その一つがナッシュビルで支持され、そこでアーキー・ブレヤーArchie Bleyerはレコードの売れるタレントを見い出したと思った。
ブレヤーにはそれが必要だった。ブレヤーはケイデンス・レコードCadence Recordsを設立し、昔のボスのアーサー・ゴッドフレイArthur Godfreyが契約すると期待していたのだが、その後契約することは無かった。
ゴッドフレイはスティーブ・ローレンスSteve Lawrenceと契約したが、ローレンスは若いクルーナーで、どう扱って良いか考えあぐねていたキング・レコードから権利を買い取った歌手だ。