その後、戻って来ると再び改名し、ケン・コリヤーズ・ジャズ&スキッフル・グループKen Colyer’s Jazz and Skiffle Groupになった。
その理由は、自分たちの幕間の音楽がニューオーリンズ・ジャズと同じくらい人気のあることに気づいたからで、バーバーBarberがストリング・ベース、ドネガンDoneganとケン・コリヤーKen Colyer がギター、ビル・コリヤーBill Colyerがウォッシュ・ボードを弾いて、アメリカのレコードで覚えたアコースティックなブルース曲を演奏した。
ビルは、集めたレコードを手に取り、アメリカのエクスクルーシブ・レコードExclusive records78回転盤の中にダン・バーレイ&ヒズ・スキッフル・ボーイズDan Burley and His Skiffle Boysというグループを見つけた。
バーレイはピアノ、ポップス・フォスターPops Fosterはベース、そしてスティック&ブラウニー・マギーStick and Brownie McGheeは他の楽器を何でも演奏した。
彼らはパーカッションとしてスーツケースをワイヤーブラシで叩き、水差しで音を出し、ハーモニカを演奏し、いつも楽しんでいた。バーレイたちがどこで『スキッフル』という言葉を見つけたかは分からないが、コリヤーはそれを採用し、自分たちのしていることを『スキッフル』と名付けた。あっという間にジャズメンの聴衆の半分は、ステージの幕間のエンターテインメント目当てで来る人たちになり、好きな曲に合わせて歌うのだが、その中で一番人気はレッド・ベリーLead Bellyの「ミッドナイト・スペシャルMidnight Special」だった。
しかし、コリヤーはバンドの中で軋轢を起こした(特に、飲酒によって手に負えなくなった)ので、彼らは1954年半ばに分かれ、再びクリス・バーバー・バンドThe Chris Barber Bandになった。
バーバーは、二人の兄弟がいなくなってもこのバンドが前と同じであることをすべての人に理解させ、とりわけ既に10インチアルバムを作成したデッカ・レコードDecca recordsの人達には、そのことを知ってほしかった。デッカは、ニュー・アルバムを作るというのが良いと考え、ニューオーリンズ・ジョイズNew Oleans Joysという8曲入りレコードを7月にレコーディングしたが、そのうちの2曲が「ロック・アイランド・ラインRock Island Line」と「ジョン・ヘンリーJohn Henry」というスキッフルだった。
その後デッカは6か月間そのアルバムを発売しなかった。1955年1月にようやく発売されると売れ行きがとても好調で、ジャズは所詮イギリスでは少数派しか関心を持たないと考えた。しかし、待てよ、スキッフルの2曲は何だったのか?