彼らの初ヒット「ダウン・イン・メキシコDown in Mexico」は、彼らが有名になるコミック・ソングの雛形となった。
ニューヨークでは他に、小さなレーベルが有望な若者のレコードを発売していたが、その中にはキャデラックスThe Cadillacsがいた。
そのリーダーはアール・スピーディー・キャロルEarl “Speedy” Carrollで、レコード作成の際とても緊張したため、自分のニックネームを間違って歌った結果、スピードSpeedoとして有名になり、このレコードはチャートに15週間いたのだから、それはそれでよかった。
ハートビーツThe Heartbeatsの「ア・サウザンド・マイルス・アウェイA Thousand Miles Away」も名曲だが、
そのリーダーのジェームズ・シェップ・シェファードJames “Shep” Shepherdは4年後にシェップ&ライムライツShep and The Limelitesのリーダーとしてヒット曲を出すというユニークな経験をしたのだが、それは「ダディーズ・ホームDaddy’s Home」というアンサー・ソングだった。
この年は最初の人種混合グループが登場した年でもあり、ピッツバーグの空軍基地で出会ったデル・バイキングスThe Dell Vikingsは最も有名で、「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go with Me」の大ヒットを飛ばした。
そして、クレフトーンズThe Cleftonesは、フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズFrankie Lymon and The Teenagersのいる、ジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのジー・レーベルGee labelに入り、「リトル・ガール・オブ・マインLittle Girl of Mine」を出した。
しかし、ボーカル・グループは始まったばかりだった。