ある日、キング・レコードのセールスマンが、事務所に電話するようにとバスに伝えた。
「お前は首だ」というのがシドの第一声だった。「シドはただ一言だけ唸った。お前は首だ。」
ああ、バスは何が起こっているか理解した。ビッグ・ジョー・ウィリアムズBig Joe Williamsの名曲「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴーBaby Please Don’t Go」をゴスペル調に変えた、フレイムスThe Flamesのレコード、「プリーズ・プリーズ・プリーズPlease, Please, Please」のことだった。
バスはシドに、南部で試験的に販売して、少なくともチャンスを下さいと嘆願した。「くそったれ。あのレコードが、くそ野郎だということをはっきりさせるために全国で発売する」とシドは言った。そして3月3日、発売した。ヒットするまでにはしばらくかかったが、最初に南部ガラティンのジョンR John R.とホス・アレンHoss Allenが気に入り、4月終わりにはR&Bでヒットしたことが確認された。
唯一の問題点は、フレイムスがレコードを手に入れた時に、これが「ジェームス・ブラウン&フェイマス・フレイムスJames Brown and The Famous Flames」の曲となっていたことだ。どうしてそうなったのか?皮肉なことに、キングにはゴスペルをたくさん歌う別のグループがいて同時に契約していたのだが、そっちならスタディオ・ミュージシャンが確認していたろう。それはファイブ・ロイヤルズThe ”5” Royalesで、アポロ・レコードApollo recordsから1954年にキングに移籍し、良い曲をたくさん出していたが売れていなかった。
ロイヤルズThe Royalesはツアーをし、順調だった。フレイムスはこの時期に彼らに会い感動していたが、ラジオやチャートには登場していなかった。そして、最もゴスペル色の強いボーカリスト、レイ・チャールズRay Charlesは成功していたが、ティーンエイジャーからの人気はなかった。
彼のR&B第1位の大ヒット曲、「ドロウン・イン・マイ・オウン・ティアーズDrown in My Own Tears」はドラマチックな演奏だが、すごくゆっくりしたテンポで、たぶんほとんどが大人に売れたのだろう(当時、このようなことをわざわざ測定する人はいなかっただろうが)。