ロックンロールの歴史 124

ある日、キング・レコードのセールスマンが、事務所に電話するようにとバスに伝えた。

Ralph Bass | Rock & Roll Hall of Fame

「お前は首だ」というのがシドの第一声だった。「シドはただ一言だけ唸った。お前は首だ。」

✝️ SYD NATHAN | MARCH 5, 1968 ✝️ Remembering on this day one of early  bluegrass music's more colorful characters, recording business pioneer Syd  Nathan, a 2006 IBMA Hall of Fame inductee

ああ、バスは何が起こっているか理解した。ビッグ・ジョー・ウィリアムズBig Joe Williamsの名曲「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴーBaby Please Don’t Go」をゴスペル調に変えた、フレイムスThe Flamesのレコード、「プリーズ・プリーズ・プリーズPlease, Please, Please」のことだった。

Baby Please Don't Go – música e letra de Big Joe Williams | SpotifyBaby, Please Don't Go - Wikipedia

Please Please Please [Analog]Soul Serenade: James Brown With The Famous Flames, “Please, Please, Please”  – Popdose

バスはシドに、南部で試験的に販売して、少なくともチャンスを下さいと嘆願した。「くそったれ。あのレコードが、くそ野郎だということをはっきりさせるために全国で発売する」とシドは言った。そして3月3日、発売した。ヒットするまでにはしばらくかかったが、最初に南部ガラティンのジョンR John R.とホス・アレンHoss Allenが気に入り、4月終わりにはR&Bでヒットしたことが確認された。

JOHN "R" DEVELOPED A CULT LIKE FOLLOWING ON WLAC NASHVILLE (DJ MASTER  CONTROL)WLAC Radio

唯一の問題点は、フレイムスがレコードを手に入れた時に、これが「ジェームス・ブラウン&フェイマス・フレイムスJames Brown and The Famous Flames」の曲となっていたことだ。どうしてそうなったのか?皮肉なことに、キングにはゴスペルをたくさん歌う別のグループがいて同時に契約していたのだが、そっちならスタディオ・ミュージシャンが確認していたろう。それはファイブ・ロイヤルズThe ”5” Royalesで、アポロ・レコードApollo recordsから1954年にキングに移籍し、良い曲をたくさん出していたが売れていなかった。

The "5" Royales | Spotify

The "5" Royales With Charlie (Little Jazz) Ferguson And His Orch. – I Want  To Thank You / All Righty! – Vinyl (7", 45 RPM, Single), 1953 [r7123966] |  DiscogsTHE 5 ROYALES – I COULD LOVE YOU / TELL THE TRUTH - KING - No Hit Records

ロイヤルズThe Royalesはツアーをし、順調だった。フレイムスはこの時期に彼らに会い感動していたが、ラジオやチャートには登場していなかった。そして、最もゴスペル色の強いボーカリスト、レイ・チャールズRay Charlesは成功していたが、ティーンエイジャーからの人気はなかった。

Rollin' With My Baby ‑ 曲・歌詞:レイ・チャールズ | Spotify

彼のR&B第1位の大ヒット曲、「ドロウン・イン・マイ・オウン・ティアーズDrown in My Own Tears」はドラマチックな演奏だが、すごくゆっくりしたテンポで、たぶんほとんどが大人に売れたのだろう(当時、このようなことをわざわざ測定する人はいなかっただろうが)。

 

Ray Charles And His Band – Drown In My Own Tears / Mary Ann – Vinyl (7", 45  RPM, Single), 1956 [r5207460] | Discogs