彼らには特徴があって、それは人種統合ということだ。
ハーマン・サンチャゴHerman Santiagoとジョー・ネグローニJoe Negroniはプエルト・リコ人で、残りのシャーマン・ゲインズSherman Gaines、ジミー・マーチャントJimmy Merchant、フランキー・ライモンFrankie Lymonは黒人だった。
実は彼らはティーンエイジャーズとしては知られておらず、自分たちのことを、プレミアーズThe Premieres、アーミンズThe Ermines、クーペ・ドゥビルズThe Coup de Villesと名乗っていた。サンチャゴはリード・シンガーで、ある時、リチャード・バレットRichard Barrettは彼らの演奏を聴き、素晴らしいだけでなく、リード・シンガーのスペイン語訛りがすごい特徴になると考えた。
バレットは、ジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのためにラテン・バンドをスカウトしていて、ゴールドナーは、ニューヨークのサルサ・バンドの二つのレーベル、ティコTicoとラマRamaを持っているビジネス街の男だった。
バレットは、その子たちをダウンタウンに来させてゴールドナーのオーディションを受けさせた。ゴールドナーは、本物のラテン・バンドなら持っているはずの楽器を持っていなかったので当惑したが、バレットが説得して、「ホワイ・ドゥ・バーズ・シング・ソー・ゲイWhy Do Birds Sing So Gay」という曲を聞かせた。それは、彼らの友達が作曲し、そのガールフレンドが作詞したものだった。(当時、フランキーが自分の学校の先生に対する報われない片思いを書いたものだと言われたが、そうではなかった。)正確に何があったのかという詳細については、ゴールドナーがかなり秘密にしているために、多くのことが明らかになっていないが、フランキーはまだ13歳の子供だったにもかかわらず、なぜかリードを歌うことになった。彼はすぐにカリスマ的存在になり、大抵の子供は音程を外さないためにたくさん声の練習が必要だったが、彼の声は完ぺきだった。ゴールドナーは感嘆し、曲名を変更してレコーディングした。彼は引き続きラテン音楽の分野では重要なレコードをたくさん出したが、ティーンエイジャーズの曲を出すためにジー・レコードGee Recordsを設立して、ニューヨークのボーカル・グループ専門レーベルの先駆者となった。