話はサンに戻って、カール・パーキンスCarl Perkinsはチャンスを待っていた。
彼はできるだけうろうろし、エルビスと良い友達になった。
サムはよくパーキンスのリハーサルをし、取り組みに対する考えを聞いて、パーキンスが間違いなく持っているカントリーの曲だけでなく、ロックに対する才能にも興味をそそられた。
パーキンスは、エルビスと同じくらいリハーサルをしたので、やはりレコーディングをしてもらいたかった。ある日サムは、パーキンスの音楽は変わっているのだから、衣装もそれに見合ったものにした方が良いとアドバイスし、エルビスやメンフィスのR&Bアーティストたちの多くが衣装をあつらえたランスキーLanskyの店を紹介した。
それぞれ自分の買い物をし、エルビスはパーキンスのために青いシャツを見つけ、黒いスラックスによく合うと言った。カールは、タキシードのズボンに組み合わせた絹の縞模様生地に興味をそそられ、家に持ち帰って奥さんにピンクのリボンを足に縫い付けてもらった。翌日それを見たエルビスは感心し、カールはヒルビリー・キャットHillbilly Cat!のショーの人気をエルビスからさらった。
こうなると、カールは衣装に合った音楽をどうしても手に入れなければならなかった。サムは、組合に入らないミュージシャンのためのフリップFlipというレーベルを持っていて、カールの最初のレコードは、このレーベルから1955年2月に発売された。カールはカントリーの曲を出すためにサン・レコードに切り替え、9月に「ゴーン・ゴーン・ゴーンGone, Gone, Gone」、そのB面は「レット・ザ・ジュークボックス・キープ・オン・プレーイングLet the Jukebox Keep On Playing」をリリースした。
その頃、エルビス旋風のあおりを受けたために、この「ジュークボックス」という曲は良い結果は出なかったものの、メンフィスのカントリー・レコードとしては秀逸だったし、「ゴーン」の方はロックンロールに少し近づいていた。1955年の夏には、カール、エルビス、そして最近サムが契約してすぐにカールを気に入ったジョニー・キャッシュJohnny Cashがいて、メンフィス周辺で何回か小さなショーを開いた。
そしてある日、アーカンソー州パーキンにおいて、彼らが楽屋でうろうろしていた時、キャッシュはカールに最近何か曲を書いたかと尋ねた。「特にたいしたものは書いてない。」とカールは答えた。