ロイ・オービソンはバンドを持ち、西テキサスの別の場所でラジオ番組に出ていて、自分は不快で服装が悪いと思っていた。ボブ・ルーマンBob Lumanはギターをもっと練習すると誓っていた。
ラボックのバディ・ホリーBuddy Hollyとボブ・ルーマンはウィチタ・フォールズにあるネスマン・レコーディング・スタディオNesman Recording Studiosに行った。
もちろん、遠くのダラスにあるスタディオやKDAV局スタディオにも行った。二人はKDAV局で番組を持っていて、スカウトの望みがあるレコード会社にデモ・テープを送るために、オリジナル曲をたくさん録音した。
カントリー調のストレートな曲で、フィドル演奏者のサニー・カーティスSonny Curtisやドラマーのジェリー・アリソンJerry Allisonに、スタディオで時々手伝ってもらうこともあった。
そして、サムが一緒に働いていた若い歌手チャーリー・フェザーズCharlie Feathersが書いた「アイ・フォーゴット・トゥ・リメンバー・トゥ・フォーゴットI Forgot to Remember to Forget」と、
その曲の裏面はジュニア・パーカーJunior Parkerの「ミステリー・トレインMystery Train」だ。
どちらもポップ・チャートには入らず、相変わらずエルビスは変わったカントリー・アーティストだった。それでも、他のカントリー界の有望株は注目した。
当たり前のことだが、夏が過ぎると、また学校に戻る時が来る。アラン・フリードはブルックリン・パラマウント・シアターBrooklyn Paramount Theatreを借りて、9月2日の週にバック・トゥ・スクール・ショーを開催してこれを祝った。
出演者は、トニー・ベネットTony Bennett、ハープトーンズThe Harptones、ナッピー・ブラウンNappy Brown、ムーングロウズThe Moonglows、レッド・プライソック・バンドThe Red Prysock Band(1955年のシングルには、「ロック・アンド・ロールRock and Roll」、「ゾンクトZonked」などがある)で、さらにはチャック・ベリーが初めてセントルイスとシカゴのクラブ以外に出て、ヒット曲「メイベリンMaybellene」を歌った。
彼の短い演奏(ショーを動かし続けるために、出演者は2~3曲しか演奏せず、とにかく、ほとんどの演奏者はそれくらいしかレパートリーを持っていなかった。)のクライマックス部分ではギターのお尻を自分の腹に突き刺し、ギターのネックを真っすぐ伸ばし、繰り返しパターンを弾きながら、膝を曲げて舞台中を歩き、リズムに合わせてアヒルのように頭を前後にピョコピョコ動かした。子供たちは熱狂した。そして、たくさんの子供たちが来場して、どのショーも簡単に満員になり、フリードはその週に154,000ドルを売り上げた。費用を支払い、マネージャーのモーリス・レビーMorris Levyと放送局のMINSに利益の分け前を与えた後でも、大金が入った。