アメリカ・ポピュラー音楽の中の大きな動きとして、ロックンロールが生まれた瞬間を選ばなければならないとすれば(実際には必要としないが)、1955年5月は良い候補かも知れない。ビル・ヘイリー&コメッツBill Haley and The Cometsはビッグ・ジョー・ターナーBig Joe Turnerの「シェイク・ラトル・アンド・ロールShake, Rattle and Roll」の品行方正バージョンを1954年8月に発売したが、
それに続くマンボ・ロックMambo Rockとバース・オブ・ザ・ブギ―Birth of the Boogieは、それほど良くなかった。
その後5月になると、もう少し押しが強くビートの利いた曲が姿を現し始めた。「ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clock」は1954年にリリースされ、そのままパッとしなかったが、暴力教室The Blackboard Jungleという高校の少年非行を扱った映画を誰かが作り、映画の始まりとしてぴったりの雰囲気なので、この曲をかけた。
まさにうってつけだった。子供たちは、この曲のレコードを買いにレコード店に走り、1955年5月になると、この曲はチャートの1位になった。ヘイリーはティーンのアイドルに似つかわしくなく、丸々と太った、30歳の、額に滑稽な渦巻き状のカールがあり、そしてコメッツの他のメンバーも同じくらいの年齢だ。しかし、どちらかと言えばマイルドな音のレコードには、他のものとは一線を画すような、何か挑発的なものが漂っていた。他のことも起きたが、それは、イギリスでこの映画が封切られたことだった。