ロックンロールの歴史 89

この曲の中で、アレックスは何度か情熱的に歌っている。この曲は、明らかに、南部を巡業しRCAでレコーディングしていた、ある若いブルース・シンガーから注目されていた。それは、リチャード・ペニマンRichard Penniman、自称リトル・リチャードLittle Richardで、エネルギッシュなステージ・ショーで知られていたが、彼のレコードは平凡なブルースだった。LITTLE RICHARD - THE INDISPENSABLE 1951-1962

RCAレコードが彼との契約を打ち切った後、ドン・ロビーDon Robeyは、彼にはお客を引き付ける力があると分かっていて、ジョニー・オーティスJohnny Otisのバンドにバック・コーラスを依頼して、1953年、リチャードはデューク・ピーコック・レコードDuke-Peacock recordsでのセッションでレコーディングした。ロビーはそのレコードをリリースすることさえしなかった。

The Legendary Don Robey - African American News and IssuesPresenting Johnny Otis ‑「コンピレーション」by Johnny Otis | Spotify

Duke Peacock Records: An Illustrated History With Discography - Gart, Galen; Ames, Roy C.: 9780936433127 - AbeBooks

しかし、ぺニマンはまだ終わらなかった。

オーティスも終わっていない。

Essential Recordings by JOHNNY OTIS

サンフランシスコのフィルモア・ホールFillmore Auditorium公演で、ジェイムセッタ・ホーキンスJamesetta Hawkinsという名前の厚かましくて色白の15歳の女の子に会い、すぐにその場でオーディションをせがまれた。

The death at the heart of San Francisco's Fillmore AuditoriumThen and Now...the Fillmore East - Everything Else - PS Audio

オーティスは、その子のオーディションをやり、それから、バンドがロサンゼルスに戻る時に彼女を連れて行く許可を、彼女の両親から取り付けた。彼らはその子にエタ・ジェームズEtta Jamesという名前を与えた。

Amazon.co.jp: Essential Modern Records Collection: Music

そして、ハンク・バラードのアニーAnnieのレコードへのアンサー・レコード、「ロール・ウィズ・ミー・ヘンリーRoll with Me, Henry」を作り、モダン・レコードModern recordsに持ち込んだが、タイトルを「ザ・ウォールフラワーThe Wallflower」に変えるように求められた。

Etta James – Roll With Me Henry / Good Rockin' Daddy – Vinyl (7", Single +  2 more), [r8850022] | Discogs

この曲は、R&Bチャートを急上昇し、突然エタ・ジェイムズはジョニー・オーティス・レビューJohnny Otis Revueのツアー・メンバーになった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です