ロックンロールの歴史 88

サム・フィリップスのところにはタレントの来ることが分かったが、一方でアーメット・アーティガンAhmet Ertegunとジェリー・ウェクスラーJerry Wexlerはタレントにレコーディングさせるために旅をしなければならなかった。

Jerry Wexler, Ahmet Ertegun, Nesuhi Ertegun atlantic records - That Eric Alper

レイ・チャールズのヒット曲を出そうと決めて、コズィモ・マタッサCosimo Matassaスタディオで1953年8月に2曲レコーディングし(そのうちの一曲はギター・スリムGuitar Slimによる)、12月には、やはりニューオーリンズにあるWDSUラジオ局で、そして1954年11月にはアトランタのWGST局でレイのレコーディングをしなければならなかった。

Rhythm & Blues 1954-1966

Legendary New Orleans Music Studio Owner Cosimo Matassa Dies At 88 | WWNOCosimo Matassa - Wikipedia さん

Louisiana Official Travel and Tourism InformationComplete Releases 1951-58

レイはレコードではなくツアーで金を稼いでいたので、最初のニューオーリンズ公演を除くすべての公演で、彼のロード・バンドがフィーチャーされ、メンバーは入れ替わったが、最初の中心メンバーとしてフォートワース出身の若いサックス奏者、デヴィッド・ファットヘッド・ニューマンDavid “Fathead” Newmanが選ばれた。

David "Fathead" Newman – Still Hard Times – Vinyl (LP, Album), 1982 [r4993702] | Discogs

出来栄えはどれも素晴らしかったが、アトランティックが12月にリリースして両面ヒットを生んだのは、最後のセッションだった。「アイブ・ガッタ・ウーマンI’ve Got a Woman」は、強烈なゴスペルの「アイブ・ガッタ・セイビャーI’ve Got a Savior」を急いで書き直したもので、レイは全精力を注いだ。

I Got a Woman ‑「シングル」by レイ・チャールズ | SpotifyRay Charles And His Band – I've Got A Woman / Come Back – Vinyl (7", 45 RPM + 2 more), 1954 [r20755228] | Discogs

B面の「カム・バック・ベイビーCome Back Baby」は、ゴスペルのピアノをベースにし、ファルセットのホーという叫び声で強調された、息をのむようなブルース・ボーカルだ。

Ray Charles – Come Back Baby – Vinyl (7", EP, 45 RPM), 1962 [r3894767] | Discogs

A面はすぐにR&Bチャートで1位になり、B面は4位になった。レイ・チャールズはついに自分のリスナーを見出したように思えた。ホーという叫び声は、たぶん1953年にスペシャルティ・レコードSpecialty recordsから、「トゥ・クロース・トゥ・ヘブンToo Close to Heaven」というゴスペルのスマッシュ・ヒットを出したプロフェッサー・アレックス・ブラッドフォードProfessor Alex Bradfordに影響を受けたのだろう。

Bradford, Alex - Too Close To Heaven: Singles & Albums 1953-62 - Amazon.com MusicProfessor Alex Bradford – Too Close To Heaven / I Don't Care What The World May Do – Vinyl (Red, 7", 45 RPM, Reissue), [r26751251] | Discogs

 

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