更に4セッションを費やした。エルビス、スコッティ、ビルはスタディオに座り、演奏する歌を話し合い、そして演奏したが結論は出なかった。
最後に、次の演奏を何にするかで、いろいろな曲が出てきたが、どういうわけかビル・モンローBill Monroeの名前が挙がった。
このブルーグラスの大御所はユーモアのセンスがあまりないことで知られていて、当時、彼の最新のレコード、「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキーBlue Moon of Kentucky」をヒットさせようと、カントリーのラジオ局がかけていた。
エルビスは彼のマネをし始め、「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」を元気よく歌い始めた。笑いながらほかの二人が加わり、演奏しながらアレンジしていき、あまり大笑いしないようにした。終わると、サムがスタディオに歩いてきて、言った。「良いよ、みんな、良いよ。まるっきり違う曲だ。もう、ポップ・ソングだ、ほとんど。素晴らしい。」使えるほどには良くなかったので、もうワン・テイクやった。サムは、両面の珍しいレコードにSun 209という番号を付けた。
それから、みんなが家に帰った後、サムがスタディオで一人座っているとデューイ・フィリップスDewey Phillipsが立ち寄った。
デューイとサムはサン以前にもつながりがあり、イッツ・ザ・フィリップス!It’s The Phillips!というレコード・レーベルを短期間保有して、つぶれてしまったのだが、もちろん、サムが録音したブルースのレコードを世に出すのにデューイは欠かせない存在だ。
二人は腰を掛け、ビールを飲みながら、ザッツ・オール・ライトを聞いたが、このオリジナル曲をデューイが自分の番組で何度もかけ、たぶんそれをエルビスが聞いただろう。サムは最初この曲をかけるについて、少しためらいがちだったが、一方のデューイは、ロサンゼルスのセントラル・アベニューや125番街などストロール出身で、地元以外の演奏者、リズム&ブルースのスターを好むことで知られていた。しかしデューイはこのレコードが気に入った。実際、翌朝サムに電話をかけ、その晩の番組のために2枚ほしいと言ったので、サムはアセテート盤を作るための旋盤の準備にかかった。サムは、レコードをWHBQ局に持って行った後、エルビス、スコッティ、ビルに、デューイが今晩レコードをかけると言い、エルビスはあまりに緊張したので、夕食後に家族用のラジオをつけてWHBQ局に合わせ、映画館に駆け込んだ。
10時ごろ、デューイは、サムが来週発売するレコードがここにあり、地元のエルビス・プレスリーという子が歌うとアナウンスした。プレスリーの家に話を戻すと、母親のグラディスがラジオからエルビスの名前を聞いてあまりにショックを受けたので、レコードを聞くどころではなくなってしまった。
心配はいらない。デューイはもう一度かけたのだ。そしてもう一度。さらにもう一度。11回ほど立て続けにかけた。すると、プレスリー家の電話が鳴った。それはデューイで、ラジオ局にかかってくる電話を鳴りやませるために、エルビスを探してインタビューを受けにラジオ局に連れてくるようにと言うものだった。映画館に行ってエルビスを座席から歩道に引っ張り出し、WHBQ局に連れてきた。
デューイは、温かく彼を出迎え、これからインタビューをするので待っているように伝えた。エルビスは怖くて死にそうで、インタビューなんて何も分からない、と言ったところ、デューイは、ただ下品なことを言わなければいいんだ、と言った。エルビスは話し続けた。デューイは、音楽ジャーナリストのスタンレー・ブースStanley Boothに語った。
「高校はどこに行ったのかと聞いたら、エルビスは、『ヒュームズ』と答えたので、その話は切り上げたくなった。
なぜなら、たくさんのリスナーが、エルビスは黒人だと思っていたからだ。」彼らはおしゃべりを続け、最後にデューイがお礼を言うと、エルビスは、いつインタビューが始まるのか尋ねた。「もう終わった。マイクは点けっぱなしだった」と言ったんだ。ここでデューイは電話対応をしなければならなかった。デューイが最初にレコードをかけてから鳴りやまなくなり、通じなくなったのだ。エルビスは、明らかにうわの空のようになり、ゆっくりと家路についた。それでも、メンフィスのティーンエイジャーの間では、その噂が知れ渡った。奇妙な身なりの男?おかしな服を着て、髪の毛にこだわるあの人?彼がレコードを作った。しかも、とんでもないレコードだ!