しかし、本当の危機はメンフィスで起きていた。スターライト・ランブラーズThe Starlite Ramblers(スターライト・ラングラーズThe Starlite Wraglersの間違いか?)という地方のカントリー・バンド出身の一人のギタリストが、メンフィス・レコーディング・サービスMemphis Recording Serviceによく出入りしていて、サム・フィリップSam Phillipsが気に入っていた。
それはスコッティ・ムーアScotty Mooreと言い、まったくの独学ながらジャズをやりたいという野望を抱いていて、サムと同様に、何か新しいことが将来起こるだろうという直感があり、コーヒーを飲みながらそんなことを語り合った。
サムはスターライト・ランブラーズのシングルを出し、ほとんどのメンフィスのカントリー・ミュージックと同様に売れなかったが、スコッティは出入りを続けた。
結局、誰かが、バンドを探している子のことを口に出したが、その子とはエルビス・プレスリーElvis Presleyで、スコッティは歌を聞きたいと言い出した。
ランブラーズのベース演奏者、ビル・ブラックBill Blackは、2軒離れた所に住んでいて、スコッティは、その子と一緒に演奏しようと誘った。
7月4日、エルビスはムーアの家に現れ、ビルもやって来て、3人は一緒に数曲演奏した。
曲の間に、ビルはテキサスに引っ越した弟のジョニーと、エルビスが知り合いであることを知った。彼らはもう何曲かのんびりと一緒に演奏して、エルビスは帰って行った。スコッティはサムに電話をかけて、エルビスのことを、「たいしたことは無いけど、声は良い」と話した。サムは、テープに録音すると違って聞こえる人がいるので、レコーディングさせるといいかもしれないと考えた。彼らはスタディオで会う約束をし、ビル・ブラックも来ることに同意して、翌日午後7時に、スコッティ、ビル、エルビス、サムが集まり、少し話をした後、テープを回した。
彼らは、アーネスト・タブErnest Tubbのヒット曲「アイ・ラブ・ユー・ビコーズ I Love You Because」を何回か録音してみた。
ゆったりと歌うバラードで、声はしっかりし、エルビスはバラード・シンガーだとサムは確信したものの、それはサムが探していたものではなかった。数時間が経ち、すると、あることが起こった。エルビスは、おそらく極度に神経が高ぶって、以前から演奏していたある曲をガンガン歌い始めたのだが、それは1940年代にブルース演奏者のアーサー・クルーダップArthur Crudupが、ブルーバード・レコードBluebird recordsで録音した自作の「ザッツ・オール・ライトThat’s All Right(Mama)」だった。
エルビスは、「スタディオ中をジャンプし、全くばかみたいに動いていた。そして、ビルはベースをたたき始め、僕も加わった。ただ大騒ぎしているだけだと思ったんだ。調整室への扉が開いていて、騒いでいる途中でサムが走って来て、『いったい何をしてるんだ?』と言った。僕たちは『分からない。』と言った。『それじゃあ、さっさと正気に戻れ。通しでやって、テープに録音しよう。』それで、分かっている限りたった今やったことを繰り返して全部演奏した。」さて、これは興味深いことだった。あとはもう1曲だけ録音すれば良くて、それでレコードができる。