「アニーAnnie」三部作が最高潮に達するまでには、自制システムが確立されようとしていた。
イースト・コーストの自己管理R&Bディスク・ジョッキー・クラブが、「わいせつと人種差別による品位低下と戦う」ために結成され、ビルボード誌が「クラブがかけたくない曲は性的な暗示を扱ったものや、飲酒を扱うもの、黒人をあざ笑うものだ。クラブはブルースのレコードそれ自体に反対しているのではなく、楽曲のリズムや拍子に関係ない『ロックrock』、『ロールroll』または『ライドride』が入っているレコードに反対した」と報じている。最も強く反対したのは明らかに白人DJ達だった。オークランドKLX局のビル・ローズBill Lawsは「僕はブルースをフィーチャーしたくないが、リクエストがどんどん来るんだ」と話した。マサチューセッツ州リンのWLYN局のドン・シャーマンDon Shermanがビルボード誌に話した内容が的確だった。「僕のポップ番組で、あまり攻撃的でないR&Bレコードを入れ始めることは必要だと思った。ティーンエイジャー達は、何も知らないようだった」。メンフィスでは、警察が取り締まり、不快なレコードの入ったジュークボックスを押収した。
そのようなレコードは、まもなく少し説明が必要になってきた。ブル・ムース・ジャクソンBull Moose Jacksonの「ビッグ・テンインチ・レコードBig Ten-Inch Record」は性的な意味を暗示する歌詞としてでも、また、タイミング的にも傑作で、秘かに良く売れたが、そのテーマは変化した。
変化したのは性的な意味ではなく、レコードだった。10インチ78回転レコードが消えつつあった。1948年から1950年の間に、コロンビアとRCAはそれぞれ新しい種類のレコードを導入した。コロンビアのものは、33 1/3回転のロング・プレイング・レコードで、10インチと12インチの2サイズが発売された。(78回転盤も12インチで入手できるが、ほとんどクラシック音楽専用だった。)
一方で、RCAは7インチで中央に大きな穴の空いている45回転だった。それぞれ利点があり、78回転盤よりも音が良かった。このことは、よりハイエンドの消費者(ほとんどの人はブル・ムース・ジャクソンBull Moose Jacksonを聞いたことがない)、特にジャズ・ファンにとっては、ノーカット、つまりノーカットの長時間演奏が録音され途切れることのないレコードを、初めて買うことができるのだから大問題となった。クラシック音楽ファンもレコード盤をひっくり返さずに、音楽を20分間続けて聞くことのできるレコードを歓迎した。一つ例を挙げると、オペラを聴くのに革命をもたらしたのだ。ロング・プレイング・レコード、即ちLPレコードは、ポピュラー・アーティストによるシングルを複数曲集約するための素晴らしい媒体でもあり、キャピトルはすぐに、フランク・シナトラFrank Sinatraのアルバムを発売した。
1955年、ビルボード誌はLPレコードのチャートを開始した。