やがて二人はスタディオに入り、ケイスカーさんはアセテート録音用のディスクをセットした。
エルビスの最初の楽曲はインク・スポッツThe Ink Spotsの「マイ・ハッピネスMy Happiness」だった。
すると途中でケイスカーさんはいつもと違うことをした。彼がテープのコピーを注文していないのに、テープ・レコーダーにテープをかけたのだった。
「ええと、こんなことをしたことは無かったけど、サムにこれを聴かせたかったの」とホプキンスに話した。
彼女は1曲目の一部と、インク・スポッツのもう1曲、「ザッツ・フェン・ユア・ハートエイクス・ビギンThat’s When your Heartaches Begin」を全部録音した。
彼女はエルビスの名前、住所、電話番号(電話は、エルビス家階上のラビ・アルフレッド・フラッチャーRabbi Alfred Fruchter夫妻の番号だった)を書き留め、テープの箱には「素晴らしいバラード・シンガー。要保存」と書いた。
スタディオは実際に保存した。長期間。エルビスは時々立ち寄った。シンガーを必要とするバンドのことをケイスカーさんが聞いていると良いな、というのが立ち寄る口実だったが、そんな話はなかった。1954年1月にもう一枚アセテート盤を録音したが、それはジョニ・ジェームズJoni Jamesの「アイル・ネバー・スタンド・イン・ユア・ウェイI’ll Never Stand in Your Way」と、
無名のJimmy Wakelyの曲「イットゥ・ウデュントゥ・ビー・ザ・セイム・ウィズアウト・ユーIt Wouldn’t Be the Same Without You」だった。
教会のゴスペル・グループに入ろうとしていたことについて話し続けたが、いざオーディションをしたら落とされたことは話さなかった。新進気鋭で、地方のカントリー・スター、エディ・ボンドEddie Bondがシンガーを探しているという話を聞いたので、ボンドが演奏していたクラブに出向き、数曲歌ったがボンドからの連絡はそれっきりなかった。
その後、6月26日に、サムから、というか、正確にはマリオン・ケイスカーから、電話があった。彼女が電話を切る前にサムのオフィスについていた、とエルビスは後に冗談を言った。サムは、プリズネアーズThe Prisonairesを発掘したレッド・ウォーサムRed Worthamから手渡された曲に気づき、デモの曲にヒットの予感を感じた。こんな風に歌えるのは誰なんだ。
ああ、あの子。ちょっとシャイな子。そこでケイスカーさんは電話をかけ、エルビスがやって来て、サムは「ウィズアウト・ユーWithout You」を聴かせた。午後のほとんどを使って、何度も何度も繰り返し練習したが、うまくいかなかった。サムは、既に良く知っている曲を歌わせ、熱心に聞いた。サムはまだレコード化のイメージが湧かない。それから、エルビスを家に帰し、午後起きたことをあれこれ考えた。何とかなるはずだ…。