アトランティックには、クロウバーズThe Cloversがいて、かなり売れてはいたものの、ボーカル・グループに関してはあまり充実しておらず、ドリフターズは、ストリート・コーナー・スタイルのグループではなく、リードをとれるのが数人いて、新旧のボーカル・グループの橋渡しになった。
「マネー・ハネーMoney Honey」のプロデュースは、アーメット・アーティガンAhmet Ertegunとジェリー・ウェクスラーJerry Wexlerに任された。
ウェクスラーは若くて、かつてビルボード誌Billboardのジャーナリストとして、同誌で「リズム&ブルース」という言葉を生み出し、ハーブ・エイブラムソンHerb Abramsonが徴兵されたときに雇用され、ついにレコード・ビジネスに手を染めることとなった。
アトランティックは徐々に力をつけつつあり、エイブラムソンAbramsonが離脱してもあまり妨げにならなかった。アトランティックにはルース・ブラウンRuth Brownがいて、
最も多作のアーティストであることを示し(彼女の1953年ヒット「ワイルド・ワイルド・ヤング・メンWild Wild Young Men」は初期ロックンロールの名作であり、
一方同年のブラウンのビッグ・ヒット「ヒー・トリーツ・ユア・ドーター・ミーン(Mama)He Treats Your Daughter Mean」は黒人ポップスの最高作品だった)、
ビッグ・ジョー・ターナーBig Joe Turner(アトランティックにおいて、今までで最高の仕事をしていた)、かつては「ミス・コーンシャックスMiss Cornshucks」として知られまだ発達途上のラバーン・ベイカーLavern Baker、クロウバースThe Clovers、カーディナルスThe Cardinals、ドリフターズThe Driftersがいて、レイ・チャールズRay Charlesはアーメットが長年温めてきた秘蔵っ子で、エイブラムソンと二人で既に数枚のシングルをリリースしたが、売れなかった。
そのうち「ルージング・ハンドLosing Hand」と「メス・アラウンドMess Around」の2曲は、1953年5月10日にレコーディングした素晴らしい曲であり、このうち「メス・アラウンド」は、アーティガンが書きチャールズにほぼ一小節ずつ教えた。