ロックンロールの歴史 59

スペシャルティ・レコードSpecialty recordsは素晴らしいことを成し遂げることになる二人の地元アーティストを見い出した。パーシー・メイフィールドPercy Mayfieldは「ブルースの詩人The Poet of the Blues」ともてはやされたシンガー・ソングライターだったが、その作品ははるかにポップ色が強かった。

Legends of Specialty : Percy Mayfield45cat - Percy Mayfield - The Big Question / The Hunt Is On - Specialty -  USA - 425-45

単なる誇大宣伝というわけでもなく、「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブPlease Send Me Someone to Love」はハーモニーとして洗練され、かつ、歌詞も完成されたものだった。

Please Send Me Someone To Love by Percy Mayfield Sheet Music for Real Book  – Melody & Chords at Sheet Music DirectPercy Mayfield And Orchestra – Please Send Me Someone To Love – Shellac  (10", 78 RPM), 1950 [r6948705] | Discogs

彼はハンサムでもあったので熱烈なファンもいたが、1952年の自動車事故で顔を損傷して公の場に出ることが怖くなり、レコードや作曲は続けたが演奏はしなくなってしまった。ジェシー・ベルビンJesse Belvinは、もしソロ活動の芸に専念していれば、このようなアーティスト達の中でもっとも有名になっていたかもしれないが、マービン・フィリップスMarvin Phillipsと組んで、ジェシー&マービンJesse and Marvin(マービンは、長年にわたって『ジェシーJesse』と名乗るベルビン以外のボーカリストと一緒に、マービン&ジェシーMarvin and Jesseとしてヒット曲を出し続けた)としてレコーディングし、ロスアンゼルスの先駆者的ボーカル・グループ、ハリウッド・フレームズThe Hollywood Flamesにも所属していた。

Jesse Belvin - WikipediaJesse & Marvin 45 RPM Dream Girl / Daddy Loves Baby - Amazon.com Music

The Hollywood Flames

もう一人のエンターテインメント起業家はジョニー・オーティスJohnny Otisだ。

Presenting Johnny Otis ‑「コンピレーション」by Johnny Otis | Spotify

ロサンゼルスのワッツにあるナイトクラブのバーレルハウスthe Barrelhouseで、ドラムやビブラフォンを演奏して自分のバンドをフィーチャーしただけでなく、サボイ・レコードSavoy recordsやモダン・レコードModern recordsなどのレーベルのためのタレント・スカウトとしても働いていた。

Life goes on along the 200 block of East Fifth Street, downtown Los Angeles,  circa 1952 |

サヴォイ・レコード - WikipediaModern | PopBopRocktilUDrop

 

ジョニーの最初の掘り出し物はリトル・エスターLittle Esther(Phillips)であり、見つけて売り出した時には15歳、バックはロビンズThe Robins(もちろんジョニー・オーティス・クインテットThe Johnny Otis Quintetteであり、その名前でレコードはリリースされた)で、1950年に「ダブル・クロッシング・ブルースDouble Crossing Blues」はチャート1位になった。

Best ofV.A. - Johnny Otis Presents The Robins, Little Esther, The Nic Nacs (UK  Orig.)

Double Crossing Blues: R&B's Number One Hit of 1950The Robins “Double Crossin' Blues” 1950 | 45 RPM