ビハリ兄弟The Bihari Brothersは、これがトレンドではないかと思い、ゴールド・スター・レコードGold Star Recordsでかなり昔風の曲をレコーディングしたヒューストンのブルースマンである、サム・ライトニン・ホプキンスSam “Lightnin’” Hopkins(こういう名前になったのは、彼の初期レコーディングの中にはピアニストの『サンダー』・スミス”Thunder” Smithがいて、サンダー&ライトニンThunder and Lightnin’が演奏者として良い名前になると勧めた人がいたからだ)のマスター・レコードを取り上げた。
ホプキンスには、ゴールド・スター・レコードで2曲のローカルヒット(「ケイティ・メイKatie Mae」、「ショート・ヘア―ド・ウーマンShort Haired Woman」)があったが、モダン・レコードModern recordsの発売したレコードは、「ティム・ムーアズ・ファームTim Moore’s Farm」という曲で、黒人労働者を虐待することで有名なグライムズ郡の実在する農民を歌ったのだが、当時テキサスのブルースマン数人に人気があった。
その男の本名はトムだったが、この話は誰もが知っていて、全国のジュークボックス常連客に売るのはたやすかった。フッカーとホプキンスには、ソロ・アーティストであるということと、金を払ってくれる人相手なら途方に暮れるほどたくさんの名前を使ってレコーディングするのを慣行としていたこと以外、共通点はほとんどなかった。
この時点でエレキ・ギター演奏者は、1930年代にティーボーン・ウォーカーT-Bone Walkerがヒットしたように、黒人ポピュラー音楽においてあまり目新しくなかった。
必要最低限のものだけで演奏するカントリー・ブルースは、確かに変わった流行だった。ジュールス&ソール・ビハリJules and Saul Bihariは、1950年代半ばにメンフィスでタレントを探す仕事の長期招聘を受けることを決め、WDIA(『黒人の母なる放送局』と言われ、経営者は全員白人だが、放送スタッフが全員黒人だったのは先駆的だった)を訪問している間に、放送局でポピュラー番組を持っているギタリストのライリー・キングRiley Kingによるデモを聞いた。
彼はプロとしては、(ブルース・ボーイBlues Boyの頭文字をとって) B.B. Kingとして知られ、生まれ故郷のミシシッピ州イッタ・ベナからメンフィスに来た時に、ギターを南京袋で風雨から守っていたので、音楽ファンには強い印象があった。