アトランティックからは山の手に位置するアポロ・レコードApollo Recordsは、夫のアイクIkeと一緒に、ハーレムでレコード店を経営していたべス・バーマンBess Bermanの領分だった。
アポロ・レコードはあらゆる種類の音楽をリリースしていて、初期のビバップ、ワイノニー・ハリスWynonie Harrisの初期の曲、ディーン・マーチンの最初の曲をレコーディングしたが、マハリア・ジャクソンMaharia Jacksonというニューオーリンズ出身の若い女を見つけて本格的に活動を始めた。
彼女はゴスペルの世界で旋風を巻き起こし、1947年に「ムーブ・アップ・ア・リトル・ハイアーMove Up a Little Higher」が、ポップ・チャートにもう少しで載るところだったし、ジャズの世界にもファンがいた。
これは1940年代末のレコード業界のありさまだったが、既に今後の行く末の兆しが芽生えていた。カントリー・ミュージックは、特にウェスト・コーストでエレキ・ギターが一層フィーチャーされ(カントリーで最初に使用したのは、ボブ・ウィルスBob Willsのバンドとアーネスト・タブErnest Tubbだった。
アーネストはその楽器使用を、西テキサス石油産出地域の飲み屋にいる彼のバンド、テキサス・トラバドールズThe Texas Troubadoursの演奏でしか聞けないと話していた)、ハンク・ウィリアムズHank Williamsが導入した新種の歌詞を探求していた。
黒人音楽は、ジャンプ・ブルース現象によって激しく揺すぶられ、シカゴでは大音量で攻撃的なエレキ・サウンドがクラブから生まれた。その後、中西部からは、明快な呼びかけがあった。「あの話聞いた?」とワイノニー・ハリスWynonie Harrisが尋ねた。「今夜は最高に盛り上がる。」