カントリー分野の流れを大きく変える出来事は1945年にたまたま起こったのだが、セシール・キャンベル&ブリアーホッパーズCecil Campbell&The Briarhoppersという人のレコーディング・セッションの最後に、セッション・ギタリストのアーサー・スミスArthur Smithがブギウギを自分のギターで弾き、それがレコーディングされたのだ。
ブギウギは1930年代に大流行し、多くの黒人ピアニストが、右手でメロディを弾きながら、強力な左手でウォーキング・ベースを演奏し、キャリアを築いたのだ。確かにハッダ・ブルークスHadda Brooksは、キャリアの初期においてブギウギの名作をたくさんレコーディングしたが、そのころまでには既に、黒人の聴衆の間で流行はほとんど下火になっていた。
しかし、スミスの「ギター・ブギGuitar Boogie」のレコードは、大衆の心をつかみ、カントリーのアーティストたちはすぐにブギウギをレコーディングした。
もちろん全員ではないが、多くの者がハンク・ウィリアムズHank Williamsの後を追い、ウェスト・コーストではギタリストがヒルビリー・ブギをレパートリーに加えた。
ヒルビリー・ブギはウェスタン・スイングの伝統の一部としてテキサスから来たのは事実だが、最も有名なアーティストの中にはデルモア・ブラザースThe Delmore Brothersがいて、1946年に「フライト・トレイン・ブギFreight Train Boogie」が大ヒットになった。
彼らはアラバマ出身だがシンシナティを本拠地にしていたのでWLWラジオ局がそばに位置し、ブーン・カウンティ・ジャンボリーBoone County Jamboreeという番組は、その放送局のレーベルであるキング・レコードKing Recordsのタレント養成の場だった。