ロックンロールの歴史 14

この時期に登場したもう一つのジャンルはウェスタン・ミュージックだった。映画に音が入るのに伴って、歌うカウボーイがアメリカの大衆文化になっていった。大部分はハリウッドの作曲家が書いたものを歌っていて、たいていは特に印象的でなく、放牧地や牧畜に関する決まり文句の焼き直しだった。例えば、ジーン・オートリGene Autryは、ジミー・ロジャースJimmie Rodgersそっくりな曲を歌って芸歴を始めたが、ジミーがレコーディングするものより、もっとわいせつじみていたものもあって、すぐにハリウッドのカウボーイものに移行した。

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しかし、歌うカウボーイのほとんどが役者を一番、歌手を二番に考える中で、ある重要なミュージシャンが逆の道を選んだ。ボブ・ウィルスBob Willsはテキサス州ライムストン郡に生まれ、家族が西テキサスのターキーに小さな点のような土地を買い、綿を栽培する間、父親と祖父からフィドルを学んだ。

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ウィルスは直ぐに、フィドル演奏の腕前(そしてターキーの床屋)で、地元では有名になったが、1929年ターキーに飽き足らず、大都市のフォートワースへ出て行った。その場所でボブは、友人のハーマン・アースピガーHerman Arspigerと一緒に、メディスン・ショーで演奏し、間もなくミルトンMiltonとその10代の兄弟、ダーウッドDerwoodのブラウン兄弟The Brown brothersと出会った。

Complete Recordings Of The Father Of Western Swing

このカルテットは直ぐに野心的なやり手(そして将来のテキサス州知事)Wリー・パピー・オダニエル W. Lee “Pappy” O’Danielによって、ライト・クラスト・フラワーLight Crust Flourがスポンサーのラジオ番組に雇われた。

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オダニエルはバンド名をライト・クラスト・ドウボーイズThe Light Crust Doughboysに変えたが、オダニエルのためにする仕事は楽しくなかった(オダニエルは権威主義的だったことに加えて頑固な禁酒法支持者だった)ので、ブラウン兄弟は直ぐに逃げ出して、ドウボーイズのレパートリーの一部に専念した。

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これは、くだらない芝居、ジャズ、ベシー・スミスなどの歌手が歌う都会のブルースに影響された不思議な混成物だった。

A Good Man Is Hard to Find ‑ 曲・歌詞:Bessie Smith | Spotify

ブラウン兄弟は、これをウェスタン・スイングと呼び、クリスタル・スプリングスで演奏するための土台を作ったが、そこは町の外にあるリゾートとレクリエーションの地域で、オダニエルの反対を無視してドウボーイズが演奏していた場所だった。

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