1957年初めの思い出は、大きなコミュニティのイベント(フロリダ・クラッカー・デイFlorida Cracker Day)で、広場のあちこちに設置された大音量のスピーカーからリトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティTutti Frutti」、
「スリッピン・アンド・スライディンSlippin’ and Slidin’」、
「グッド・ゴリー・ミス・モリーGood Golly Miss Molly」などが流れるのを聴いたことだ。
1956年当時、ポート・オレンジには子供たちが夜遊びできるような場所はなかった。シーフード・レストランを経営していたテダー氏Mr. Tedderは、金曜と土曜の夜の営業時間外に、ティーンエイジャーたちにロックンロール・ダンスを楽しんでもらおうと考えた(当時、地域社会は子供たちに関心を寄せていた)。レストランのジュークボックスから流れるロックンロールに合わせて子供たちが踊れるように、ダイニング・ルームのテーブルと椅子をすべて取り払った。
1957年10月、私は運転免許を取得し、両親の車を貸してくれるよう、頼み始めた。その後、自分の車を持つようになり、典型的な50年代のティーンエイジャーのように振る舞った(ドライブインから別のドライブインへと車を走らせ、カーラジオでWLAC放送局を聴いた)。深夜のビーチをドライブしながら、カーラジオでニューヨークのアラン・フリードに合わせていたものだ。
1957年の終わりまでには、デイトナ・ビーチのピーボディ・オーディトリアムthe Peabody Auditoriumで、ファッツ・ドミノのショー(ディック・クラークを参照)、ジェリー・リー・ルイスのショー(ジェリー・リー・ルイスを参照)、ブレンダ・リーのショー(ブレンダ・リーを参照)など、いくつかのロックンロール・ショーを見に行った。
エルビス・プレスリーが1955年と1956年にデイトナ・ビーチを訪れ、ピーボディ・オーディトリアムで公演していたことは、ずっと後になって知ることになる。
ピーボディ・オーディトリアムでエルビス・プレスリーを観られなかったのは、彼を観に連れて行ってくれる人がいなかったからだ(1956年当時、私は車を持っていなかった)。