私は1955年の8月にフロリダのデイトナ・ビーチに移ることになる。
1957年、夏休みにロングアイランドの家族を訪ねていたときのことを覚えている。
夏の間ずっとラジオを聴いていて、夕方7時にアラン・フリードが登場するのを聞いた。
1957年、フリードはリズム&ブルース以外の音楽もかけていた。ロカビリー・ミュージック(バディ・ホリーBuddy Holly、エバリー・ブラザーズThe Everly Brothers、エルビスElvis)を流していた。
エルビスの新譜「ハウンド・ドッグHound Dog」や「冷たくしないでDon’t Be Cruel」、そしてデル・バイキングスThe Del Vikingsの新譜「ウィスパリング・ベルズWhispering Bells」をアランの夜のラジオ番組で聴いたものだ。
私はこの2枚のレコードに興奮し、翌朝起きて片道5マイル歩いてコルベッツまで行き、1枚45セントでこの2枚の45回転レコードを買ったことを覚えている(プレスリーの「ハウンド・ドッグ」のレコードは今でも持っている)。
プレスリーはフロリダのデイトナ・ビーチでは大物だった。私はエルビス・プレスリーの新譜を持って家に帰り、友人たちに見せていた。
1955年9月、私はフロリダで学校に通い始めた。ポート・オレンジ(デイトナ・ビーチの南)は小さな(人口500人足らずの)ブルーカラーのコミュニティだった。
1955年の終わりから1956年にかけては、新しい友達を作ったり、週末に小学校の裏でバスケットボールをしたりして過ごした。放課後は叔父の店(簡易食堂のようなもの)に行ってブースのひとつに座り、ジュークボックスから流れるエルビスの新譜「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウスBaby Let’s Play House」で大騒ぎする年上の子たちの声を聞いていた。
1956年、私はポート・オレンジ小学校Port Orange Elementary Schoolの典型的な10代のひょうきん者だった。
椅子を引きずって教室の後ろに行き、スピーカーに耳を当ててラジオを聴く日もあった(先生には音楽が聞こえない)。ある日、バランスを崩して(椅子が二本足になった)ボリュームボタンを押してしまい、教室中に音が響き渡った。かかっていたレコードはチャック・ベリーChuck Berryの「スクール・デイズSchool Days」だった。その日、どんな罰を受けたかは覚えていない。