ロックンロール誕生 202

ソニー・ティル(アーリントン・カール・ティルマン、1928~1981)&オリオールズSonny Till (Earlington Carl Tilghman) and The Oriolesメリーランド州ボルチモア

Live in Chicago 1951Marv Goldberg's R&B Notebooks - THE ORIOLES

ソニー・ティルは第二次世界大戦中、特殊部隊the Special Servicesで歌い始めた。除隊後、ソニーはナイトクラブやアマチュア・コンテストで歌い始めた。やがて、ソニー・ティルとオリオールズとなるグループに出会う。ソニー・ティルとオリオールズは、40年代後半から50年代前半にかけてレコーディングされた最初の黒人ドゥーワップ・グループだった。後のドゥーワップ・グループの基礎を築いた最初のドゥーワップ・グループだった。究極のバラード歌手として知られるオリオールズは、ポップス、ゴスペル、ブルースを滑らかなハーモニーと融合させ、可能な限り幅広い聴衆に届くように企画した。彼らの最初の大ブレイクは、1948年にアーサー・ゴドフリーArthur Godfreyのテレビ番組に出演して脚光を浴びたことだった。

Arthur Godfrey: The Adventures of an American Broadcaster

オリオールズは1948年にナショナル・レコードNational Recordsと契約した。オリオールズは、40年代の他の黒人グループとはまるで異なっていた。

インク・スポッツThe Ink Spotsは1942年から1948年までグループ・サウンドで優位を占めていた。

If I Didn't Care: An Anthology

彼らのスタイルは非常にポップで、白人聴衆をターゲットにしていた。オリオールズはそれとは異なり、ハーモニー・スタイルはあまりかっちりしたものにはなっておらず、よりオープンで、しばしばテナー・ボイスが他のメンバーの上に自由奔放に歌われていた。オリオールズには、強い感情や生々しい情感、リアリズムを投影する力があった。彼らは、黒人マーケットに狙いを定めた最初のドゥーワップ・グループとなり、想像を超える成功を収めた。

ナショナルからの最初のドゥーワップ・ヒットは「イッツ・トゥー・スーン・トゥ・ノウIt’s Too Soon to Know」で、リズム&ブルース・チャートで1位、ポップ・チャートで13位を記録した。

It's Too Soon to Know by The Orioles on TIDALThe Orioles – It's Too Soon To Know / Barbra Lee – Shellac (10", 78 RPM),  1948 [r4079306] | Discogs

ナショナル・レコードのオーナー(後にグループ名をビブラ・ナイアーズthe Vibra Nairesからソニー・ティル&オリオールズに改名)はナショナル・レコードという名前を気に入らず、「イッツ・トゥー・スーン・トゥ・ノウ」を再び彼の新しいレコード・レーベル、ジュビリー・レコードJubilee Recordsからリリースした。

Marv Goldberg's R&B Notebooks - THE ORIOLESThe Orioles – It's Too Soon To Know / Tell Me So – Vinyl (7", 45 RPM + 2  more), 1973 [r6262613] | Discogs

一般にレース・レコードとして知られる黒人のレコードが、白人のポップ・チャートにクロスオーバーするのは、これが初めてだった。