オリジナル・ドリフターズThe Original Drifters(1953-1958)、ニュー・ドリフターズThe New Drifters(1959-1970)、ニューヨーク州ニューヨーク・シティ
クライド・マクファターClyde McPhatter(1932〜1973)は1953年にドリフターズをスタートさせた。
彼のキャリアは、定評あるドゥーワップ・グループ、ビリー・ワード&ドミノスBilly Ward and The Dominos’のリード・シンガーとして始まった。
クライドはアトランティック・レコードAtlantic Recordsで自身のドゥーワップ・グループ、ドリフターズThe Driftersを結成するチャンスをつかんだ。
ドリフターズの最初のヒットは1953年の「マネー・ハニーMoney Honey」だった。
エルビス・プレスリーは1956年にこの曲をカバーしている。
ドリフターズの2曲目のヒットは1956年の「サッチ・ア・ナイトSuch A Night」。
この曲も1964年にエルビス・プレスリーのヒット曲となる。
1954年に陸軍に徴兵されたため、クライド・マクファターのドリフターズへの参加は短命に終わった。クライドは陸軍に行く前に、ドリフターズで16曲ほどリード・シンガーを務めた。ドリフターズでの最後のレコードは「ホワット・チャ・ゴナ・ドゥWhat ‘Cha Gonna Do?」だった。ソングライターとして、彼はドリフターズのために3曲を書いた。
陸軍を除隊後、クライドは1956年にソロのリズム&ブルースのアーティストとしてアトランティック・レコードAtlantic Recordsに復帰した。ソロ・アーティストとして16曲のリズム&ブルース・ヒットと21曲のポップ・チャート・ヒットを放った。アトランティックでは5曲のビルボード・ヒットを放った: 「ア・ラバーズ・クェスチョンA Lover’s Question 」6位、「トレジャー・オブ・ラブTreasure Of Love」16位、「ウィズアウト・ラブWithout Love (There Is Nothing)」19位、
「ジャスト・ホールド・マイ・ハンドJust Hold My Hand 」26位、「シンス・ユーブ・ビーン・ゴーンSince You’ve Been Gone」38位。
1960年からはマーキュリー・レコードで3曲のヒットを放つ。「タ・タTa Ta」23位、「ラバー・プリーズLover Please」7位、「リトル・ビティ・プリティ・ワンLittle Bitty Pretty One」25位。