ムーングローズは「モスト・オブ・オールMost of All」、「イン・マイ・ダイアリーIn My Diary」、「シー・ソーSee Saw」、
「ウィー・ゴー・トゥゲザーWe Go Together」、「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブPlease Send Me Some One to Love」などのレコードでリズム&ブルース・チャートを席巻した。
アラン・フリードの2本の映画『ロック・ロック・ロックRock Rock Rock』(1956年)と『ミスター・ロックンロールMr. Rock ‘n’ Roll』(1957年)に出演した。
ハービーはムーングローズ抜きで、1958年にフリードの最後の映画『ゴー・ジョニー・ゴーGo Johnny Go』に出演する。
ムーングローズは50年代、アラン・フリードのニューヨーク地区でのステージ・ショーに何度か出演した。
ムーングローズは「Sincerely」の後、1958年にリリースされた「愛の十戒The Ten Commandments of Love」というマイナー・ヒットを出した。
「愛の十戒」の直後、ムーングローズ内にメンバー間のトラブルが生じ、フークアはムーングローズという名前はそのままに、自分のグループを立ち上げた。このグループの新メンバーのひとりがマービン・ゲイだった。
このグループからヒット曲は生まれなかった。1960年、新生ムーングローズは解散した。
ムーングローズは50年代最高のドゥーワップ・グループのひとつだった。彼らは、インク・スポッツThe Ink Spotsやミルス・ブラザースThe Mills Brothersのようなグループ・ハーモニーの滑らかなサウンドとロックンロールの誕生の橋渡しをした。
彼らはクラシカル・ドゥーワップ時代のパイオニアだった。ムーングローズはロックの殿堂入りを果たした。