1955年後半、彼らはチェス・レコードChess Recordsと契約した。チェス・レコード在籍中、フラミンゴズは7枚のシングルと2枚のLPをリリース。チェスでは、「ア・キス・フロム・ユア・リップスA Kiss From Your Lips」、「ザ・バウThe Vow」、「ウッド・アイ・ビー・クライングWould I Be Crying?」などのリズム&ブルースでまあまあの成功を収めた。
チェスで最も成功した曲は1956年の「アイル・ビー・ホームI’ll Be Home」で、リズム&ブルースのチャート5位を記録した。
パット・ブーンPat Booneによるカバー・バージョン(歌詞は変更されている)は、同年のビルボードで4位を記録した。
フラミンゴズは、1956年のアラン・フリードの映画『ロック、ロック、ロックRock, Rock, Rock』と、1958年の『ゴー・ジョニー・ゴーGo Johnny Go』に出演した。
フラミンゴは1957年にデッカ・レコードDecca Recordsと契約し、5枚のレコードを録音した。デッカからの最初のリリースは、美しいバラード「ラダー・オブ・ラブLadder of Love」だった。
デッカはこの曲の制作を完全にコントロールし、フラミンゴズが白人のように聞こえることが必要だと決定した。フラミンゴズたち(特にジョンソン)は、自分たちの曲のアレンジに非常に腹を立てていた。この曲とデッカからリリースされた他の曲は注目されなかった。
フラミンゴズがデッカと契約したとき、ネイト・ネルソンNate Nelsonはまだチェス・レコードと契約していた。
チェスは、レコードにネイトを起用したデッカを訴えると脅し、デッカは(恐れをなして)フラミンゴズのプロモーションを止めた。「ラダー・オブ・ラブ」は美しいドゥーワップ・レコードで、今日でもクラシック・ドゥーワップ・ソングとして過小評価されている。
フラミンゴズは1958年にエンド・レコードEnd recordsに移籍した。エンドからの最初のリリースは、グループの新メンバー、テリー・バジー・ジョンソンTerry Buzzy Johnson(1957年加入)が書いた曲「ラバーズ・ネバー・セイ・グッドバイLovers Never Say Good-Bye」だった。
ジョンソンはフラミンゴズのステージに参加し、後に舞台裏でフラミンゴズに会い、神のお告げでフラミンゴに参加することになったと語った。フラミンゴズはかなり長いツアーを行っていたので、ジョンソンはガールフレンドに別れを告げなければならなず、そのことでインスパイア―されたのが、この曲だった。(2010年のラジオ・インタビュー)。ビルボードで52位を記録。(フラミンゴズがビルボードにチャートインした最初のレコードである)。