フラミンゴズThe Flamingos(1953-1964)イリノイ州シカゴ
フラミンゴズのオリジナルは、1952年にシカゴの教会で歌っていた聖歌隊によって結成された。シカゴのレコード・レーベル、チャンス・レコードChance Recordsでレコーディング。(ビー・ジェイ・レコードVee Jay Recordsの傘下)。
当時はドゥーワップ・ミュージックの黎明期だったので、その音楽は黒人の聴衆を対象としていた。チャンスに所属している間、ミドルテンポのバラード、ブルース、ポップ・スタンダードなど、さまざまなスタイルでレコーディングを行った。チャンス・レコードで6枚のシングルをレコーディングした。「イフ・アイ・キャント・ハブ・ユーIf I Can’t Have You」と「That’s My Desire」の2曲はフラミンゴズの地味なヒット曲となった。
1953年には「ゴールデン・ティアドロップスGolden Teardrops」が地域的に大ヒットした。
フラミンゴズはパロット・レコードParrot Records(シカゴの人気ディージェイ、アル・ベンソンAl Bensonが所有)に移籍し、2枚だけレコードをリリースしたが、「アイム・ユアーI’m Your」という曲は、彼らが初めて本格的なドゥーワップ・ミュージックに挑戦したと考えられている(というのが大方の意見だ)。
この曲は、クラッシク・ドゥーワップ・ソングの中では非常に過小評価されている。ネイト・ネルソンは「I’m Yours」と、後の「瞳は君ゆえにI Only Have Eyes For You」でもリード・シンガーを務めている。