デル・シャノンDel Shannon(1934-1990)ミシガン州クーパーズビル
チャールズ・ウィードン・ウェストーバーCharles Weedon Westoverとして生まれたデル・シャノンは、ティーンになる前にカントリー・ミュージックを聴いてギターの弾き方を覚えた。デル・シャノンは歌い、ギターを弾き、ティーン・アイドルの時代にやりたいようにやっていた。1954年、デルは陸軍に入隊し、クール・フレイムスThe Cool Flamesというバンドのギタリストとして活躍した。兵役を終えて帰郷し、工場で働き始めた。そして、その地域の様々なバンドで演奏のアルバイトをしていた。
1960年、シャノンはビッグ・トップ・レコードBig Top Recordsのシンガー・ソングライターになるチャンスを得る。
この時、彼の名前はデル・シャノンと改名された。ニューヨークへ飛んだ彼は、1度セッションに失敗した後、「悲しき街角Run Away」を持って帰ってきた。この曲はレコーディングされ、1961年にシングルとしてリリースされた。すぐにその年のビルボード1位を獲得した。
同年、「花咲く街角Hats off To Larry」がヒットし、チャート5位になった。60年代、さらに7回チャートインする。
「リトル・タウン・フラートLittle Town Flirt」、「太陽を探せKeep Searchin」、「ストレンジャー・イン・タウンStranger In Town」。
シャノンはアルコール依存症と鬱病という悪魔と生涯闘った。彼は1990年に55歳で自殺した。デルがロックンロールのソングライター(自作)として、またシンガーとして成功したのは、まさにロックンロール誕生の終わり頃であり、彼はこの時代の一翼を担った。ロックの殿堂入りしている。