ロックンロール誕生 178

フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズFrankie Lymon and the Teenagers(1942年~1968年)ニューヨーク、ハーレム

The Teenagers Featuring Frankie Lymon / フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ

フランキー・ジョセフ・ライモンFrankie Joseph Lymonは、生活苦にあえぐ黒人家庭に生まれたため、幼少期はほとんど楽しい生活を過ごすことができなかった。父親は教会のゴスペル・グループのメンバーで、フランキーと兄弟たちも教会で同年代のゴスペル・グループに参加した。10歳のとき、自分より年上の女性と違法行為に手を染めた。12歳で学校のドゥーワップ・グループに参加。

1955年、彼らのドゥーワップ・グループ、プレミエーズThe Premiersは、シンガー・ソングライター(バレンタインズThe Valentinesのリード・シンガー)でエンド・レコードEnd Recordsのプロデューサーでもあるリチャード・バレットRichard Barrettのオーディションを受けた。

Marv Goldberg's R&B Notebooks - VALENTINES

プレミエーズのメンバー2人は、「恋は曲者Why Do Fools Fall In Love?」という曲(ガールフレンドからのラブレター)を書いたと主張した。

Why Do Fools Fall in LoveWhy Do Fools Fall in Love (song) - Wikipedia

フランキー・ライモンの母親は、女の子に振られて学校でこの曲を書いたと主張し、フランキーは50年代に恋愛の本質を説明するためにこの曲を書いたと主張した(後に、裁判で彼に有利な判決が下された)。グループはバレットと出会う前から、近所の通路や街角で歌いながら「恋は曲者」の曲作りに取り組んでいたようだ。プレミアーズは名前をティーンエイジャーズに変え、ジー・レコードGee Recordsでこの曲をレコーディングした。フランキーは「恋は曲者」の曲作りを手伝い、リードを担当することになったと主張した。レコードは1956年にリリースされ、グループはティーンエイジャーズと呼ばれた。このレコードはあっという間にビルボード6位を記録した。

ティーンエイジャーズはテレビ出演に引っ張りだこで、1956年のアラン・フリードAlan Freedの映画『ロック、ロック、ロックRock, Rock, Rock』に出演した。

VIVID SOUND

ティーンエイジャーズは、1956年4月のアラン・フリードの「ブルックリン・パラマウント・イースター・ジュビリー・オブ・スターズBrooklyn Paramount Easter Jubilee of Stars」、1956年8月のフリードの「セカンド・アニバーサリー・レイバー・デイショーSecond Anniversary Labor Day Show」に出演した。

My First Alan Freed Rock and Roll Show - John's Place on the Web Medley of  Musical MemoriesLet's Keep the 50's Spirit Alive!: Alan Freed

ティーンエイジャーズは1957年、アラン・フリードの「ニューヨーク・パラマウント・サマー・フェスティバルNew York Paramount Summer Festival」と1957年のフリードの「パラマウントでのクリスマス・ステージ・ショーChristmas Stage Show at the Paramount」に再び出演した。

 

ALAN FREED CHRONOLOGICAL HISTORY IN NEWSPRINT

1957年にはフリードの別の映画『ミスター・ロックンロールMr. Rock and Roll』にも出演。

MISTER ROCK AND ROLL (1957) - DJ Mr.Rock N Roll | Facebook

彼らはこの映画で、「フォーチュネート・フェローFortunate Fellow」と「ラブ・プット・ミー・アウト・オブ・マイ・マインドLove Put Me Out of My Mind」を歌ったがリリースされることはなかった。

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