1959年、プライスは「フェアー・ワー・ユーWhere Were You” (On Our Wedding Day?) 」(プライスの共作)をマイナーヒットさせた。
同年、プライス最大のヒット曲「パーソナリティPersonality」(プライスの共作)がチャート1位を獲得。
彼は 「ミスター・パーソナリティMr.Personality」と呼ばれるようになり、その名はロイドに障害付いて回った。プライスは、次のようなヒット曲でチャートインを続けた。 プライスが作った「アイム・ゴナ・ゲット・マリードI’m Gonna’ Get Married 」チャート3位、「カム・イントゥ・マイ・ハートCome Into My Heart」チャート20位、「ウォンチャ・カム・ホームWon’t’cha Come Home」、
「レディ・ラックLady Luck」チャート14位、プライスが作った「ノー・イフス・ノー・バッツNo Ifs, No Buts」チャート40位、
「クエスチョンQuestion」チャート19位、そしてダブルLレコード Double L Recordsの「ミスティMisty」チャート21位。
ファッツ・ドミノFats Domino、ロイ・ブラウンRoy Brown、デイブ・バーソロミューDave Bartholomewと同様、ロイド・プライスはリズム&ブルースを生み出したニューオーリンズ・サウンドだった。
彼はリズム&ブルースの最初のパイオニアであり、ロックンロール誕生の重要な一翼を担った。彼はロックの殿堂入りしている。