1967年には「ハイヤー アンド ハイヤーYour Love Keeps Lifting Me Higher and Higher」チャート6位、「アイ・ゲット・ザ・スウィーテスト・フィーリングI Get the Sweetest Feeling」チャート34位と、さらに2曲のヒットを記録した。
1958年から1968年まで、ウィルソンはビルボードTOP40に20曲チャートインした。ジャッキーは1959年にアラン・フリードAlan Freedの映画『ゴー・ジョニー・ゴーGo Johnny Go』に出演し、同年にリリースした「ユー・ベター・ノウ・イットYou Better Know It」を歌った(ビルボード37位)。
1961年の映画『ティーンエイジ・ミリオネアTeenage Millionaire』にも出演した。
私生活は不安定で、1961年にはホテルの部屋で女性に銃撃される重傷を負う。1975年、ディック・クラークDick Clarkの「グッド・オール・ロックンロール・レビューGood Ole’ Rock ‘n’ Roll Revue」のステージで演奏中に重い心臓発作を起こした。
1975年から1984年まで昏睡状態(4ヶ月)と入院(8年間)が続き、その時に肺炎のため49歳で亡くなった。ジャッキー・ウィルソンは、サム・クックSam Cookeのような歌唱力を持ち、ジェームス・ブラウンJames Brown(ミスター・エキサイトメントMr. Excitementと呼ばれた)のようにステージ上で動く、才能あるリズム&ブルースのシンガーだった。
ロックンロール誕生のパイオニアであり、ロックの殿堂入りを果たした。