ジャッキー・ウィルソンJackie Wilson(1934-1984)ミシガン州デトロイト
問題を抱えた家庭(父親はアルコール依存症)に生まれたジャック・リロイ・ウィルソン・ジュニアJack Leroy Wilson Jr.は、デトロイト地区の犯罪の多い地域で育った。母親が教会の聖歌隊で歌っていたので、ジャッキーのボーカル・トレーニングにつながった。15歳で学校を中退し、やがて少年当局とトラブルを起こし(ギャングに加わり)、ランシング矯正施設the Lansing Correctional Systemに(2度)服役した。
矯正施設ではボクシングを学んだ。矯正施設から出所後、デトロイトでボクシングに挑戦した。
16歳でアマチュアのゴールデン・グローブ・ボクサーとなる。17歳で結婚。さまざまな女性との間に10人の子供をもうけたという噂がある。ボクシングを辞め、地元で歌手活動を開始した。クラブでソロ・シンガーとして働き、ファルコンズThe Falcons(有名なドゥーワップ・グループではない)というグループを結成した。その後、ジャッキーはロイヤルズThe Royals(ハンク・バラードHank Ballardのグループ)というグループに参加。
ミッドナイターズThe Midnighters(バラードの項を参照)に改名する前に脱退した。
1953年、ビリー・ワード&ドミノスBilly Ward and his Dominosのリード・シンガーだったクライド・マクファターClyde McPhatterがグループを脱退し、自身のグループ、ドリフターズThe Driftersを結成してアトランティック・レコードAtlantic Recordsと契約することを耳にした。
ウィルソンはマクファターより自分の方が優れていると言い、オーディションを受けた結果、合格した。ウィルソンはドミノスのリード・シンガーを任された。ウィルソンとドミノスは「ディーズ・フーリッシュ・シングズ・リマインド・オブ・ユーThese Foolish Things Remind Me Of You」、「ラグズ・トゥ・リッチーズRags to Riches」、
「オーバー・ザ・レインボーOver the Rainbow」、「セント・セレサ・オブ・ザ・ローゼズSt. Theresa Of the Roses」など、リズム&ブルースのヒットを放った。