リッチー・バレンスRitchie Valens(1941-1959)カリフォルニア州パコイマ
リチャード・スティーブン・バレンズエラRichard Steven Valenzuelaは16歳の時、シルエッツThe Silhouettes(「ゲット・ア・ジョブGet a Job」のシルエッツThe Silhouettesではない)というグループにギタリストとして誘われ、地元のイベントで演奏した。
独学でソングライター、シンガー、ミュージシャンとなったリッチーは、デルファイ・レコードDel-Fi Recordsの目に留まり、1958年にレコード契約を結んだ。彼は何曲か書き、デルファイが選んだ。1958年にシングルとしてリリースされたのは、「ドナDonna」(ガールフレンドのことを歌った曲)と「ラ・バンバLa Bamba」だった。
「ドナ」はビルボード2位、「ラ・バンバ」は同22位にチャートインした。「ドナ」で一夜にしてロックンロールのスターとなった彼は、音楽活動に専念するために高校を辞めた。
リッチー・バレンスは、「アメリカン・バンドスタンドAmerican Bandstand 」やニューヨークのアラン・フリードAlan Freedのステージ・ショーに出演した。1959年、ニューヨークでフリードの最後の映画『ゴー・ジョニー・ゴーGo Johnny Go』に出演した。
バディ・ホリーBuddy Hollyと一緒にミッドウエスト・ショーへの出演を依頼され、ホリー、ビッグ・バッパーBig Bopperとともに飛行機墜落事故で亡くなった(バディ・ホリー参照)。彼はメキシコ系アメリカ人初のロックンロール・アーティストとして記憶されるだろう。彼の「ラ・バンバ」(メキシコの古いスタンダード曲)は、彼独自のスタイルで完全にスペイン語で歌われ、ポップスの人気曲となったが、このようなことはかつてなかった。キャリアをスタートさせる前に亡くなってしまったので、彼をワン・ヒット・ワンダーと呼ぶのは非常に不公平だ。彼はロックンロール誕生の重要人物として記憶されるだろう。ロックの殿堂入りしている。