1957年から1962年の間に、インペリアルで27曲のチャート・ヒットを放つ。トップ10入りした曲は以下の通り: 「ビー・バップ・ベイビーBe-Bop-Baby」、「ストゥ―ドゥ・アップStood Up」、「ビリーブ・ホワット・ユー・セイBelieve What You Say」、
「プア・リトル・フールPoor Little Fool」(1位)、「ロンサム・タウンLonesome Town」、「ネバー・ビー・エニワン・エルス・バット・ユーNever Be Anyone Else But You」、
「イッツ・レイトIt’s Late」、「ジャスト・ア・リトル・トゥーマッチJust A Little Too Much」、「スウィーター・ザン・ユーSweeter Than You」、
「トラベリン・マンTravelin’ Man」(1位)、「ヤング・ワールドYoung World」、「ティーン・エイジ・アイドルTeen Age Idol」、
「ハロー・メリー・ルーHello, Mary Lou」(1位)、「アイ・ガット・ア・フィーリングI Got A Feeling」、「イッツ・アップ・トゥ・ユーIt’s Up To You」。
1972年には「ガーデン・パーティーGarden Party」で復活する。
30年代から40年代にかけて彼の家族が有名だったことから始まって、50年代のテレビ番組が大成功を収めたために、彼に扉を開いたことは間違いない。しかし、50年代半ばから1984年に悲劇的な死(飛行機事故)に至るまでの彼の創造的な才能のおかげで、ロカビリーとロックンロール・ミュージックの重要なパイオニアになれたのだ。
彼は、ロックンロール誕生の重要な一部である。ロックの殿堂入りを果たした。