リッキー・ネルソンRicky Nelson(1940-1985)、ニュージャージー州ティーネック
リッキー・ネルソンは有名な音楽一家にエリック・ヒリアード・ネルソンEric Hilliard Nelsonとして生まれた。父親はビッグバンド時代(30~40年代)のシンガー兼バンドリーダー(オジー・ネルソン・バンドThe Ozzie Nelson Band)。
母親はバンドの女性リードシンガーだった。
2人は結婚し、最初の子供(デイビッドDavid)が生まれた後、彼女は歌手から引退する。ビッグ・バンド・サウンドthe Big Band Soundの終焉後、ネルソン夫妻は「陽気なネルソンThe Adventures of Ozzie and Harriet」というラジオ番組を始めた。1949年に2人の少年が加わった。この番組は1952年にテレビ放映された。
1956年までには、リトル・リッキーと呼ばれる彼は一躍有名になり、TVスターとなった。ロックンロール・ミュージックへの反動(1955〜60年)の時代に、番組はこの問題を肯定的に取り上げることにした。番組は、リッキーが寝室の床でビッグ・ママ・ソートンBig Mama Thortonの曲「ハウンド・ドッグHound Dog」をレコードプレーヤーでかけているところから始まる。
リッキーの母親(ハリエットHarriet)が部屋に入ってきて、静かに歌を聴いている。次のシーンは、リッキーと母親がロックンロールという音楽について語り合う会話だ。母はリッキーに、彼の音楽が好きで、どの世代にも独自の音楽があると言う。
彼は50年代の高校にいる典型的なティーンエイジャーだった(革ジャン、オートバイのブーツ、もみあげ)。1956年、ガールフレンドが彼にロックンロールのレコードを作るよう挑発した。彼は父親にレコード契約をしてくれるよう頼み、父親はバーブ・レコードVerve Recordsとレコードを一枚作る契約を手配した。
1957年、彼の最初のレコードは「アイム・ウォーキンI’m Walkin’」(ファッツ・ドミノの曲)と「ティーンエイジャーズ・ロマンスTeenager’s Romance」だった。
レコードが発売される前に、リッキーはテレビ番組でこの2曲を歌った(レコードの売り上げに悪影響を与えなかった)。この2曲はビルボードで1位と17位にチャートインした。インペリアル・レコードImperial Recordsと契約する前に、バーブから「ユア―・マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブYou’re My One And Only Love」(チャート14位)でもう1度チャートインする。