1955年から1960年まで、プラターズは18回チャートインし、チャート1位を4曲獲得した。
ラムが書いた「ザ・グレート・プリテンダーThe Great Pretender」が1955年にチャート1位、ラムが書いた「マジック・タッチYou’ve Got the Magic Touch」が1956年にチャート4位、「マイ・プレーヤーMy Prayer」が1956年にチャート1位、
ラムが書いた 「トゥワイライト・タイムTwilight Time」が1958年にチャート1位、「煙が目にしみるSmoke Gets In Your Eyes」がチャート1位、「ハーバー・ライトHarbor Lights」が1960年にチャート8位、
「ユール・ネバー・ネバァー・ノーYou’ll Never Never Know」がチャート11位、「アイム・ソーリーI’m Sorry」がチャート11位。
彼らは、アルバムのトップ10入りを果たした最初のドゥーワップ・グループとなる。1961年、トニー・ウィリアムスはプラターズを脱退し、ソロ・キャリアをスタートさせたが、非常に期待外れな結果となった(ドゥーワップの歴史を参照)。
彼らはクラシック期にレコーディングを行った。
プラターズは世界中をツアーし、1956年には『女はそれを我慢できないThe Girl Can’t Help it』、1956年にはアラン・フリードの映画『ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around The Clock』など、50年代半ばにはいくつかの映画に出演した。
プラターズは、ロックンロールが白人文化に受け入れられる音楽形態になる前に主流派になったので、驚くべき存在である。プラターズは、ロックンロール誕生の最初のパイオニアの一人であることは間違いない。プラターズはロックの殿堂入りしている。彼らはポップ・ドゥーワップ・グループとみなされている。2007年にゾーラ・テイラーが、2012年にハーブ・リードHerb Reedが死去したのを初めとして、プラターズのオリジナル・メンバーのうち最後に残った2人が亡くなっている。