エバリーブラザースは、「アイ・キストゥ・ユー(Till) I kissed You」がチャート4位(ドンの作品)、「レット・イット・ビー・ミーLet It Be Me」がチャート7位と2曲のヒットを放ち、その後、1960年にワーナー・ブラザース・レーベルthe Warner Brothers labelに移籍することを決める。
ワーナー・ブラザーズでの最初のレコードは「キャシーズ・クラウンCathy’s Clown」で、ビルボードのチャート1位となった(ドンとフィルが作曲)。
1960年から1962年にかけて、さらに6曲のヒットが続く。「ホエン・ウィル・アイ・ビー・ラブドWhen Will I Be Loved?」がチャート8位(フィルの作品)、「ソー・サッドSo Sad (to Watch Good Love Go Bad) 」がチャート7位、「ウォーク・ライト・バックWalk Right Back」がチャート7位、
「エボニー・アイズEbony Eyes」がチャート8位、「クライイング・イン・ザ・レインCrying In the Rain」がチャート8位、「ザッツ・オールド・ファッションドThat’s Old Fashioned (That’s The Way Love Should Be) 」がチャート7位。
「起きろよスージー」は、歌詞の内容(「二人でぐっすり眠ってしまった、スージーちゃんを起こして泣こう、映画は終わった、4時だ、僕らは本当に困った」)から、全米の多くのディージェイがかけることを拒否した。1962年までに、エバリー・ブラザーズはレコードで3,500万ドルを稼いだ。彼らはロックの殿堂入りしている。