大学を中退してテキサス州オデッサに移り、そこでティーン・キングスThe Teen Kingsというバンドを結成した。
![Roy Orbison & The Teen Kings – Roy Orbison & The Teen Kings Vol. 1 – Vinyl (7", 45 RPM + 2 more), [r11033085] | Discogs](https://i.discogs.com/fVvlXPavaPRVqU0DIrCs_rfbQaKLOStk3fhEPLCcq88/rs:fit/g:sm/q:90/h:597/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTExMDMz/MDg1LTE2MzE5MjI5/MTktODc5My5qcGVn.jpeg)

1955年、ティーン・キングスは地元のテレビ番組に出演し、オデッサの小さなインディーズ・レーベルで「ウービー・ドゥービー」(学生時代の友人2人が書いた曲)をレコーディングした。

1956年、ロイ&ティーン・キングスは「ウービー・ドゥービー」の新しいバージョンをサン・レコードSun Recordsで録音した。(サム・フィリップスSam Phillipsは最初、「ロカビリー・アーティストはたくさんいる」と断った)。


「ウービー・ドゥービー」は1956年のビルボード・チャートで59位を記録した。
カール・パーキンスのロカビリー曲「ブルー・スエード・シューズBlue Suede Shoes」(自作)は、同年のビルボード・チャートで2位となった。


オービソンは1956年から1958年までサン・レコードでレコーディングを行った。その間に20曲のロカビリー・ソングをリリースする(2曲は自作)。どれも期待外れだった。サン・レコードではデモを何曲か録音したが、その中に自作の「クローデットClaudette」(妻の名前)があり、エバリー・ブラザーズが1958年にビルボード・チャートで1位を獲得したヒット曲、「夢を見るだけAll I Have To Do Is Dream」のB面としてリリースされた。
エバリー・ブラザーズの「クローデット」は、ビルボード・チャートで見事30位を記録した。
ロイは「クローデット」で得た資金でサン・レコードとの契約を解消し、RCAと契約した。しかし、ロイは「ペーパー・ボーイPaper Boy」と「オールモスト・エイティーンAlmost Eighteen」という2枚のレコードをリリースしたが不本意な結果に終わった。彼はRCAから解雇され、モニュメント・レコードMonument Recordsに移籍した。ロイは、サン・レコードでの経験がモニュメント・レコードでの成功につながったとよく言っていた。1960年、「オンリー・ザ・ロンリーOnly the Lonely」(オービソンの自作)で大ヒットを飛ばし、ビルボード・チャートで1位を獲得した。エルビス・プレスリーはこの曲を断ったのだが、後に悔やんだ。