ジーン・ピットニーGene Pitney(1940-2006)コネチカット州ハートフォード
ジーンはロックンロール誕生の末期に向けて活躍したシンガー・ソングライターだ。高校在学中にバンドを結成。卒業後はニューヨークへ向かい、ブリル・ビルで自分の歌を売り込んだ。
彼はブリル・ビルディングのソングライターの一員ではなかったが、フィル・スペクターやバート・バカラックのような多くのミュージシャンがジーンの才能を気に入り、チームを組んだ。
彼は多くの曲を書いてレコーディングするとともに、他のソングライターの曲もレコーディングした。彼の曲の多くは、ロックンロールの誕生時期のアーティストたちによってレコーディングされた。その中には、クリスタルズThe Crystalsの「ヒーズ・ア・レベルHe’s A Rebel」、リック・ネルソンRick Nelsonの「へロー・メリー・ルーHello, Mary Lou」、ボビー・ビーBobby Veeの「ラバー・ボールRubber Ball」、
ロイ・オービソンRoy Orbisonの「トゥデイズ・ティア・ドロップToday’s Tear Drops」、カリン・トゥインズKalin Twinsの「ロンリネスLoneliness」などがある。
ジーン・ピットニーは、60年代前半にロックンロールのヒット曲を連発した。彼の成功と人気は、1961年にバカラック/デイビッドの「リバティ・バランスを射った男The Man Who Shot Liberty Valance」をレコーディングしたときに始まった。
この曲は同じタイトルのハリウッド映画から付け、大ヒットとなった。この時期、彼はさらに多くの二人の曲をレコーディングした。「恋の痛手Only Love Can Break a Heart」や「トゥエンティ・フォー・アワーズ・フロム・タルサTwenty Four Hours From Tulsa」などだ。「イット・ハーツ・トゥ・ビー・イン・ラブIt Hurts to Be in Love」、
「エブリ・ブレス・アイ・テイクEvery Breath I Take」、「ラブ・マイ・ライフ・アウェイ(I Wanna) Love My Life Away」を作りレコーディングした。ハリウッド映画と同名の曲「非情の町Town Without Pitty」(ピットニーの作ではない)も大ヒットした。
ジーン・ピットニーはロックの殿堂入り。2006年に亡くなった。ジーン・ピトニーはソングライターの殿堂入りに値する。